原発事故補償の落としどころは?

 福島第一原子力発電所の事故に関して、東京電力の賠償能力が問題になっている。前週の拙稿で検討したように、今回の原子力事故に関しては、第一義的に東京電力が責任を負うはずのものなので、先ずは東京電力の株主がその責任を被るのが「普通」だ。

 その後に、被災者・金融機関・社債保有者らの債権者が東京電力の残余資産を配分する流れになるのが「普通」の処理のあり方だろう。

 もっとも、東京電力の賠償対象がどこまで及び幾らになるのか、それが本当に東京電力の純資産でカバーできない額なのかについては現段階で明らかではない。賠償の範囲と額については東京電力にも言い分のある問題だ。

 また、東電のケースでは、社債に担保が付いているので、倒産処理にあって、先ず、社債権者が債権を確保し、その後に、賠償の権利を持つ被災者と金融機関が残った資産を取り合う展開になる公算が大きい。

 こうした「普通」の展開になると、被災者が十分な補償を受けることが出来なくなる可能性がある。そうなると、当然、被災者は、国の監督責任を問うことになるだろう。そして、過去の国会答弁などを踏まえると、今回の事故は決して「想定外」で片付けられる物ではないから、政府の管理責任はある、と認められることになるだろう。この段階で政府による補償は当然だ。

 しかし、これは、中央政府の官僚にとってかなり不都合な事態かも知れない。被災者に対する補償を値切ることは世間的・政治的に許されない公算が大きいが、しかし、政府が不足分を埋めることは、政府の官僚が自らの誤りを認めることになる。最悪の場合、何年間も訴訟で争って、あるべき補償の一部が先送りされる可能性もある。

 こうした利害状況を前提とすると、「原発賠償機構」を作って現在の東京電力を生かしたまま賠償金を払わせて、これを将来の電力ユーザーの負担に転嫁する政府案が提出された背景がよく分かる。

 今後、減資等で東電株主に部分的に損をさせたり、東電にもう一段のリストラを強いたりする程度の「けじめ」を演出した後に、政府が東電を現状の延長線上で生かしたまま、結局、将来の電力ユーザーの負担の下に賠償を処理する可能性が大きいのではないか。

 フェアであるとはとても言えないが、現時点で筆者が予想する「落としどころ」はこのような進行だ。特に東京電力の株主の責任に関して、これでいいとはとても思えないが、こうなってしまう可能性が小さくない。