2014年にドラコ・ロサのアルバム「VIDA」でグラミー賞の「ベスト・ラテン・ポップ・アルバム部門」作品賞を受賞したレコーディングエンジニア・プロデューサー、SADAHARU YAGI氏のインタビュー最終回。日本のポピュラー音楽は、欧米人から軽んじられていると感じることがあると語るヤギ氏。ヤギ氏自身、とても悔しく、歯痒い思いをしているという。世界に認められる音楽をつくるために、ヤギ氏はすでにチャレンジを始めている。(聞き手/ダイヤモンド社 田中泰、構成/前田浩弥)

日本のポピュラー音楽は世界で軽んじられている!?<br /> ハイチ出身のミュージシャン、ワイクリフ・ジョンとのスタジオワーク。グラミー賞に10回ノミネートされ、3回受賞したスーパースターだ。

「日本の歌はなぜサビが英語なのか?」

――ヤギさんは、ハリウッドで活躍されていますが、「日本の外」から見て、日本のポピュラー音楽については何か感じるところがありますか?

ヤギさん(以下、ヤギ)最近は、少しずつ日本の外でもコンサートなどの音楽活動をするミュージシャンが出てきていて、個人的にはとても嬉しく思っています。その反面、これは僕自身、ちょっと悔しかったり残念に思ったりする部分なのですが……日本のポピュラー音楽は正直、欧米人から軽んじられていると感じることがたまにあります。

――軽んじられている!?

ヤギ 語弊があるかもしれませんが、正直そう感じるんです。うまく言えないんですけど、「日本人が欧米人にあこがれを持っていて、マネしたがっていることを見透かされている」というか……。

 ハリウッドには過去に日本人アーティストのレコーディングに参加したことがあるミュージシャンがたくさんいます。僕たちはアメリカにいながら、日本だけでなく、こちらにやって来る南米やヨーロッパのアーティストなどの世界の音楽を手掛けています。そんな中、アメリカ人の同僚から「日本人のやる音楽はなぜ、サビだけ突然、英語になるの?」って聞かれることがあるんです。しかも、英語の発音や文法が間違っていることも多々あります。だから、半笑いで聞いてくる。これ、なんて答えていいかわからないですよね。

 ……いや、なんとなくの答えはわかるんですよ。「英語のほうがかっこいいから」ではないか、と。そして、アメリカ人もそう思っている。「日本人は、俺たちの言語をかっこいいと思っているんだ。だからサビを英語で歌うんだ」と。そのうえで「なぜサビだけ突然英語なんだ?」と聞いてくる。半笑いで……。

 ここに腹が立つ(笑)。そもそも僕自身は、日本文化も西洋文化も対等で、西洋文化のほうがかっこいいなんて思っていないですからね。でも多くの日本人は、日本の文化より西洋の文化のほうがかっこいいと思っているような気がするんです。無意識的な西洋コンプレックスというか。それを欧米の人たちに見透かされていると感じることがよくあります。ここに歯痒さというか、残念さを覚えるんです。

――うーん、たしかに……。

ヤギ 小馬鹿にしてくるアメリカ人もちょっとタチが悪いなと思うんですけど、これは、実は日本人の問題だと、僕は思うんです。日本人はどうも、欧米人と「対等」に向き合えていないんじゃないか? やけに崇めすぎているというか……。

 テレビの音楽番組を見てもそうです。ヨーロッパのテレビ番組では、アメリカからレディー・ガガやボン・ジョヴィといった世界的なスーパースターがやって来ても、番組ホストは対等に「音楽」の話をします。

 たとえばオランダのある番組では、「今日のゲストは〇〇さんです。わざわざ今日はオランダまで来てくれてありがとう。オランダのファンは今日、あなたが来るのを楽しみに待っていたよ」と紹介したら、すぐに音楽の話。「新作、聞きましたよ。今回の作品は、前作とは違いますね。私は前作の作風よりも今作の作風のほうを評価しています。この3曲目はどんな気持ちでつくったんですか?」と、「音楽」の話を対等に楽しんでいる。

 一方で日本の音楽番組は、「今日のゲストは〇〇さんです」と紹介して客席が拍手をし終えると、番組ホストから出てくる質問は「寿司は食べましたか?」とか「秋葉原はお好きですか?」とか、まるでご機嫌をうかがうかのような内容が大半を占めることも少なくないような気がします。欧米のミュージシャンが来たときだけ、そうなる。この違いは何なんだろうと。ちゃんと音楽の話をしようぜ、と思うんです。

――たしかに……。

ヤギ はっきり言ってオランダも、音楽産業でいえば全然、メジャーではない。むしろ日本より市場規模は小さいでしょう。でも、どんな世界のスーパースターが来ようとも、音楽の前では対等。対等にリスペクトしているんです。日本人が欧米のアーティストをそのように扱うのは「おもてなし」の精神だと言う人もいるでしょう。しかし、相手に対してコンプレックス、つまり劣等感を無意識的に感じながらそのように接しているのであれば、それは真の意味での「おもてなし」ではないと僕は思っています。

 これは音楽に限った話ではないのかもしれませんが、音楽の文化では如実に表れている。さきほどのオランダ人の司会者のようなスタンスで、日本人が人種に関係なく世界の人間に向き合えるようになると、こちらからだけでなく、双方にリスペクトし合える関係が築けると思います。