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『うつ』のち、晴れ 鬱からの再生ストーリー

言葉のチカラで乗り越える、うつのスパイラル

~ 34歳男性(既婚/通信系メーカー勤務)の場合【後編】~

西川敦子 [フリーライター]
【第10回】

 「うつ病になり、療養を開始した頃から、父の自殺について考え始めました。それまでは、コンプレックスがあったので、あまり考えないようにしていました」

 メールでこう語ってくれたじょこきちさん。子どもの頃から、他人には「父親は病気で死んだ」と話していたという。じつは、彼は11歳で母親を白血病で亡くしている。父親が自殺したのは、12歳の時だった。幼い妹と、たった2人でこの世に取り残された彼は、親類の手で育てられることとなった。

 父親が許せない――。

 怒りと悲しみから、閉ざしてしまった記憶の扉。それが少しずつ開き始めたのは、日記ブログを書くようになってからだった。

 日記には、こんな回想が綴られている。

 「その日は僕も妹も、普段どおり学校に行った。学校からの帰り道、友達と別れ、町内の鉄工所のカーブを曲がれば、家が見える。家の前に大勢の人が集まっていた。その瞬間、僕は父は死んだのだと思った。

 遺体を発見したのは、妹だった。小学校から帰ってきて待っていたのは首を吊っている父だった。妹は泣きながら前の家の人に助けを求めた。僕は父が死のうとしているのを知っていながら何もできなかった。中学校1年生の誕生日の前日の出来事だ」(ブログより)

 こんな回想もある。

 「父は母が入院してから、職を転々としていた。新しい職に就いては辞めて、家のコタツの中で寝ていた。小学校から帰ってくると、父の車があり、今日も休んでいるのかとがっかりした。新聞に求人広告が入っていると、『この会社はどう?』と言ってすすめていた」(ブログより)

 休職してから、じょこきちさんは、かつての父親の姿に自分の姿を重ねるようになった。このまま社会復帰できなければ、父のように死んでしまうかもしれない、とも考えたそうだ。

内省にはまらない、
日記ブログの鉄則とは

 だが、不思議なことに日記ブログの中には、そんな表現は一切見当たらない。淡々と回想が綴られているだけで、「死にたい」などという言葉はまったく出てこないのだ。あるのは前向きな表現ばかりである。

 「父の死から20年以上経って、僕も仕事を休んでコタツの中で寝転んでいる。僕も父と同じ道をたどることになるのではないかと思うときがある。でも、父と違うところがある。

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西川敦子 [フリーライター]

1967年生まれ。上智大学外国語学部卒業。編集プロダクション勤務を経て、独立。週刊ダイヤモンド、人事関連雑誌、女性誌などで、メンタルヘルスや介護、医療、格差問題、独立・起業などをテーマに取材、執筆を続ける。西川氏の連載「『うつ』のち、晴れ」「働く男女の『取扱説明書』」「『婚迷時代』の男たち」は、ダイヤモンド・オンラインで人気連載に。


『うつ』のち、晴れ 鬱からの再生ストーリー

うつをきっかけに、生き方や働き方を見つめ直した人々にフォーカス!うつに負けない、うつを乗り越えるための知恵と活力を探っていく。

「『うつ』のち、晴れ 鬱からの再生ストーリー」

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