感動的なフランス農民のエピソード

 危機が大きければ大きいほど、指導者と民衆の信頼関係が強くなければならない。それは歴史の鉄則と言ってもよい。

 ヒトラー・ドイツとの戦いを勝利に導いたイギリス首相チャーチルは、単にイギリス国民ばかりでなく、多くのフランス国民からも強い信頼を受けていた。

 ヒトラーのロンドン空爆は死者15万人を超えたが、市民はひるむどころか、率先して消防隊員や民兵となって抗戦し、チャーチルを非難する人はいなかった。特にドイツが投下した不発弾を処理する市民部隊は語り草となっている。20個も30個も不発弾を処理した後に爆死した一般市民も少なくなかった。

 第二次世界大戦を通じて、チャーチルが自ら「最も苦痛に満ちた決断」と言っているのは、フランス艦隊撃沈の決断だった。

 チャーチルは、北アフリカのフランス海軍基地にあったフランス艦隊が、ヒトラーの手に渡るのを恐れてその撃沈を決断して実行した。これによって多くのフランスの水兵が犠牲となった。

 ところがその後、フランスのある村の農民の感動的な出来事がチャーチルに伝えられた。

 それは、チャーチルの決断の犠牲となった水兵の葬儀で、棺の上に、フランスの三色旗と並べてイギリスの国旗、ユニオン・ジャックがかけられていたというのである。

 要するに、わが子が犠牲となりながら、チャーチルの決断の正しさを信じたのだ。

 チャーチルはこれについて『第二次大戦回顧録』でこう書いている。

「ここからわれわれが読みとることができるのは、庶民の分別ある精神とはいかに至上の高みにまで達しうるものかということである」

 これは、数ある歴史書の中で、私が最も印象深い話の1つである。