構造的問題を解決せずに
「個人のがんばり」に押し付ける

 展示SL問題の本質を、福岡県行橋市の市教育文化課の担当者が話しているので、それを紹介した記事を引用させていただこう。

《「活用の見込みがないので予算化できない」(市教委文化課)。見学者が少なく、「コストのわりに効果がない」という》(朝日新聞 2016年10月19日)

 良い悪いという話ではない。活用できない産業遺産は、ただの古い鉄の塊になってしまうというのが日本の現実なのだ。今はまだ「公園のSL」程度の被害で済んでいるが、この構造的な問題が解消されなければ、いずれは文化財でも同様のことが起きるのは目に見えている。それはつまり、活用の見込みのない文化財が放置され、野ざらしのままで朽ちていくということである。

「そんなことは日本人として絶対に許せない!」と憤る人たちも多いかもしれないが、今の日本では、こうした産業遺産や文化財を守るための負担が、学芸員や民間ボランティアといった「個人」に押し付けられている、ということが大きな問題のひとつだ。

 たとえば、トーマス・グラバーが初めてSLを走らせたことから「SL発祥の地」として知られる長崎市には1939年に製造されたC57型というSLが展示されていたが、老朽化が激しいということで、解体された。

「屋根がないために風雨にさらされ続け、国鉄OBらが毎年、車体を拭いたり、さびを落としたりしていた」(読売新聞 2016年10月1日)ということからもわかるように、この産業遺産をここまで維持できたのは、実はボランティアなど人々の善意によるところが大きかったのだ。

 クロネコヤマトの未払い残業問題が象徴的だが、日本社会は構造的な問題に手をつけることなく、「個人のがんばり」で問題を乗り越えようとする傾向がある。

 スクラップにされるSLが続出する一方で、まだ生き残っているSLも多くあるが、その多くは「個人のがんばり」に頼っているのだ。