「幸せ食堂」繁盛記
【第四七回】 2017年4月27日 野地秩嘉

知る人ぞ知る食いしん坊、長友啓典さんが愛した店

グラフィックデザイナーの大御所、長友啓典さんが亡くなって、約2ヵ月。知る人ぞ知る食いしん坊だった長友さんと、晩年の仕事仲間であり、遊び仲間でもあった、本連載の著者、野地秩嘉氏が、故人が行きつけだった店の人たちから聞いたエピソードを綴る、長友さん追悼記、その後編。

長友さんのお気に入りの席に置かれた陰膳

長友さんが行きつけだった店の人たちの声・その1

 まずは、日光の「食堂すずき」の鈴木貴史さんから。「食堂すずき」は長友さんがメンバーだった日光カンツリークラブに行った時に必ず寄る店だった。この連載の第20回でも取り上げている。

――和、中、伊の店。こんにゃくの煮つけと餃子とスパゲティが食べられる店(by長友)。

「食堂すずき」の鈴木さんの話。

「食堂すずきは2010年親父が倒れ長期休業、営業時間短縮や2011年東日本大震災後の辛い時期も、長友さんの紹介や雑誌等の記事を見てお客さまに来ていただきました!本当に長友さんとの出会いがなければ、食堂すずきは潰れていたでしょう。とにかく、幾度の危機を乗り換えられたのも長友さんのおかげです。私もお袋も長友さんが来る度に何を出そうか、今一番おいしいものはと、楽しみにしていました。ゴルフのシーズンになっても、そこにいるはずの方がいない。本当に悲しい。お袋などは、実の兄が亡くなったときのようだ、といって泣いていました。長友さんとは同い年なんですが…。いまは店に、長友さん、お袋、私の3人で撮った写真を大事に飾らせていただいてます」

「さえら」の須藤広吉さん、須藤史郎さん兄弟。

 兄はフレンチ、弟は寿司を握る。両方ともうまい。長友さんは何でも食べられる店が好きだった。前述の食堂すずき、この連載の42回目に書いた、浅草の「いいま」も同じ系統である。以下は、須藤兄の話。

「うちの店に長友さんの絵があります。5年前に独立した時、『何か描いてくださいますか?』とお願いしたら、いいのがあるから、ずっと貸してあげるとおっしゃいました。犬の絵です。そうですね、思えば店の名刺も作ってもらっておけばよかった。残念です、ほんとうに」

「レストラン小西」の小西謙造さん。

 富山にあるフレンチレストラン。クラシックなスタイル。富山は長友さんの本拠地のひとつだった。以下、小西さんの話。

「長友先生の御逝去 なんだか ブローパンチのように 効いてきています。もう一度 お会いしてゆっくりお話しをしたいです 少しのお酒、はい、ブルゴーニュの赤ワインがいいかな。長友先生がお好きでしたから。そうです。だいぶ前の事ですが 氷を彫って作った器で冷たいスープを召し上がって頂いたことがあります。その後に長友先生は中にウイスキーを入れて飲んでました。オンザロックならぬインザロックだそうです」

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

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