「幸せ食堂」繁盛記
【第四六回】 2017年4月17日 野地秩嘉

やさしい食いしん坊、長友啓典さんが教えてくれたこと

グラフィックデザイナーの大御所、長友啓典さんが、3月4日に亡くなった。享年77歳。長友さんは、知る人ぞ知る食いしん坊だった。共著も上梓し、晩年はゴルフ仲間でもあった本連載の著者・野地秩嘉氏が、故人を偲び、“トモさん”が生前、足繁く通った飲食店にまつわるエピソードを綴る。

グラフィックデザイナーとアートディレクター

 グラフィックデザイナー長友啓典氏の恩師は田中一光、早川良雄両氏だ。しかし、長友さんがもっとも影響を受けたのは亀倉雄策氏だったと思う。

 わたしが亀倉さんを主役にした本『TOKYOオリンピック物語』を書いた時、長友さんは「亀倉センセの話を教えてあげる」と六本木の寿司店「なかむら」に誘ってくれた。

「センセはスピーチが上手で、これがまた面白い。亀倉センセが出てくると、他はみんな、期待しながら話を待つ。案の定、センセはスピーチしながら怒号をとばすのよ。これが面白いねん。壇上から降りてきて、僕と目があったら、こんなこと言ってた。『どうだ、長友くん、スピーチのコツは出席者の顔をにらみつけて怒ることだ』。亀倉センセからにらまれるともうドキドキしてもうて…」

 亀倉さんらしいですねとフォローして、わたしもこんなこと言われましたと伝えた。

「亀倉さんはこう言ってました。『オレはグラフィックデザイナーだ。アートディレクターではない。アートディレクターを自称しとるやつらは金勘定が上手なだけだ』」って。

 そうしたら、長友さんは腕を組んで、笑った。

「亀倉センセも金勘定が上手なんやけど。でも、自分は違うと思いっきり否定しとるところが、さすが亀倉センセやね」

 長友さんはグラフィックデザインの世界では押しも押されもせぬ大物だった。しかし、大物らしさはみじんもなかった。なにしろ初対面の人間でも気軽に「トモさん」と呼んでしまうのである。それでも、長友さんは怒らない。これが、もし、亀倉雄策に対して、初対面の人間が「カメさん」と呼ぼうものなら、その場で張り倒されていただろう。

 業界の重鎮ではあったけれど、亀倉さんのように、人をぐいぐいと引っ張っていくタイプではなかった。含羞の人だったから、そんなことはしない。大物だけれど、業界団体の理事長とか協会長にはついぞなっていない。
 長友さんが亀倉雄策にあこがれていた点も人を引っ張っていく力ではなかった。亀倉雄策の強烈な造形力、交際範囲の広さ、おいしいものをたくさん食べるところが好きだったのではないか。

「亀倉センセにはよくおごってもらった。ケチという評判だったけれど、僕はおごってもらった。田中一光先生にも早川先生にも山城先生にもずいぶん、おごってもらった。ご飯の食べ方は先輩たちに教えてもらった」

 そして、思えば長友さんが亀倉さんに見た力とは、いずれも長友さん自身が持っているものだ。人柄はほんわかしているけれど、長友さんの造形デザインはアナーキーで力強い。交際範囲も広い。おいしいもの好きという点では亀倉さん以上だろう。ふたりは似ている。長友さんもそう思っていたのではないか。

 そして、もうひとつ、亀倉さんと長友さんに共通するところがある。おふたりともお子さんがいらっしゃらなかった。それもあったのだろうか、後進を育てよう、しつけをしてやろう、メシを食わせてやろうという気持ちが強かった。

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

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