「幸せ食堂」繁盛記
【第四二回】 2017年1月30日 野地秩嘉

浅草の食堂が「メニュー選びに30分かかる店」になった理由

兄弟で和食と洋食を担当

 浅草にある和洋食の店、「いいま」は飯間兄弟が経営している。次男の正男が洋食、三男の三郎が和食を担当している。出している料理は和食であれば刺身、天ぷら、うなぎ、焼き魚、煮物など。洋食であればスープ、サラダ、フライもの、ポークカツ、ハンバーグ、ステーキ、スパゲティ、ピザ、カレーライス、ビーフシチュー……。

 この店に来ると、まずメニューを全部読みこむだけで10分はかかる。次に自分が食べたいものを選ぶのに10分。そのうちいくつかを落として注文にたどり着くまでが大仕事で、これに15分はかかる。そうして、やっと食べるのだが、注文したものが運ばれてきて、舌鼓を打ち、すべてを平らげた後に必ず後悔してしまう。

「失敗した。ピザもうまかったし、ステーキも申し分はない。しかし、前菜は穴子の白焼きではなく、自家製ポテトサラダと若鳥の胸肉ボン酢がけにすればよかった……」

 食べるたびに後悔するので、もうこの店に来ることはやめておこうと思いつめてしまう。おいしいものがいっぱいある店というのは理想の店のようでいて、実はそうではない。心の葛藤は大いなるストレスだ。

 いいまに行くたびに、わたしは反発して、「いっそまずい店へ行こう。まずい店で食事をしよう」という自己破壊衝動に駆られる。

「そこまで思い詰められても困ります。なんでも好きなものをいくつでも注文して食べてください」

 洋食担当である兄の正男は言った。

「うちの親父は畳屋でした。三人兄弟で、長兄は親父の仕事を継いでます。いまは畳はダメだから、インテリアの仕事ですけれど」

 次男と三男は「ふたりとも勉強が嫌い」だったから、料理人になった。兄は帝国ホテルに入り、村上信夫料理長の下で、コルドンブルー(仔牛肉にハム、チーズをはさんで揚げたカツ)のようなクラシックな洋食を学んだ。弟は老舗の和食店に勤め、刺身、天ぷらなど一通りを習う。

 ふたりはともに地元の浅草に戻り、それぞれ小さな店を出し、常連客をつかんだ。店の名前はどちらも同じ。「いいま」である。 

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野地秩嘉 

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

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