全日空による東京-成都直行航路が開通し、奥地にある四川省の省都・成都市が一気に近づいた。以前なら赴任地が成都だと聞いて目の前は真っ暗だと言っていた日本のサラリーマンはこれからたぶんいなくなるだろう。現地にいち早く進出したイトーヨーカ堂の成功により、成都の豊かさと消費力の高さが日本でも認知されるようになった。伊勢丹も数年前に成都に進出している。
成都を訪れると、政府の高官から庶民までが自慢するのが、「茶館が一番多い町」ということだ。茶館とは、中国茶を飲む喫茶店のことをいう。茶館が多いことは、のんびりと生活を楽しむ習慣がその土地に根付いていることを意味する。だから、成都市内を歩き回ると、「休閑」という言葉をよく耳にする。
中国語では、「休閑」とはのんびり過ごすこと、レジャーを楽しむことをいう。「休閑産業」とは「レジャー産業」のことだ。「休閑場所」はレジャースポットのことを指す。「休閑服装」はカジュアルウェアだ。
成都という名は、西周王朝(公元前1046年~公元前771年)の都を定める過程のなかで、周王が遷都する際に、「一年経てば人々が住むところが固まってくる。二年で町になる。三年も経てば都に成る」と語ったという伝説に由来するそうだ。数千年の名前を持つ同市は言うまでもなく西部、特に西南地区で最も繁栄する都市として自負する。経済的にも西部地区でトップの地位を誇る。
成都の豊かさ、その「休閑」文化の発達ぶりを見るには、日が暮れた頃が一番いい。最もわかりやすく成都の特徴を見せてくれるところは「寛窄巷子」というエリアだ。
「巷子」というのは、横丁、路地という意味で、北京の「胡同」や上海の「里弄」に相当する。中国語では、「寛」は広いという意味で、「窄」は狭いという意味で、寛窄巷子とは、広い横丁と狭い横丁からなる横丁のことを言う。この一帯は成都市に残存する清朝時代の古い町並みの一つで、寛巷子、窄巷子、井巷子と三本平行して並ぶ古い町並みとその間に立てられた四合院によって形成された空間だ。青レンガ作りの家が北京の「四合院」に似ている。南方地域で唯一、北方の胡同文化と建築様式を見ることができるのがこの寛窄巷子だと言われる。