
戦後、焼け野原になった新宿に闇市を作った男・尾津喜之助。彼はテキヤの親分というアウトローながら、貧困層のために無料診療所や無料葬儀社を設立した。弱きを助け強きを挫く任侠の心がまだギリギリ生き残っていた時代、私財を投げ打つ尾津の見栄と本音に迫った。※本稿は、フリート横田『新宿をつくった男 戦後闇市の王・尾津喜之助と昭和裏面史』の一部を抜粋・編集したものです。
闇市を支配するテキヤの親分が
無料の病院を作ってしまう
為政者たちの思惑など尾津(編集部注/尾津喜之助のこと。新宿を作った男と言われる昭和期の露天商、関東尾津組組長)には考えている暇もない。敗戦によって困窮の極みにある新宿の人々に俺ができることはないか。湧いて出るアイデアを現実化することだけに熱中するのだった。
終戦早々、開けるなり閉じろと命じられたマーケットのその後を追うのはいったん脇において、アイデアマン尾津の終戦時慈善事業に少し目を移していきたい。
安方警察署長から閉鎖を命じられたちょうどそのころ、尾津は別事業も進めていた。
――物を売っているだけではダメだ。カネがなくて医者にかかれない人をタダで診る場所を作ろう――
一介の露店商親分が大風呂敷を広げ、「無料診療所」を開設しようというのである。
――8月24日、白いヒゲをへそあたりまでたらし、ふらり、ふらり、とした足取りで大久保方面から新宿駅のほうへ歩いていく爺さんが1人。辻々で、「先生!」と声をかけられながら千鳥足で歩いている。