東京朝高のサッカーが黄金期だったころ、帝京をはじめ全国屈指の強豪校が対戦を熱望し、練習試合に出向く姿は「朝高詣」と呼ばれるまでになったほどだ(写真はイメージです)

「影の最強チーム」と称された
高校サッカー界のナンバーワンは?

 著者は『オシムの言葉』をはじめとしてサッカーを題材にしたノンフィクションを手がけてきた。サッカーを描きながらも大半の作品に通底するのは、政治や組織に翻弄された個人がその矛盾に対峙する側面を切り取る姿勢だ。

 大文字の歴史で語られることは少ないが、戦後サッカー史で在日朝鮮人のチームは「影の最強チーム」と称された。

『無冠、されど至強――東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』
木村元彦、ころから株式会社、256ページ、2300円(税別)

 例えば社会人などで結成された「在日朝鮮蹴球団」は1961年に結成され、1980年代まで日本のトップチームを相手に9割6分の勝率を残している。時代も舞台も違うが、レアルマドリードがリーガ・エスパニョーラで同チームとして、史上最高勝率を誇った15ー16シーズンでさえ8割5分である。

 まぎれもなく日本に存在する「最強チーム」であったが、「影」であったのは、公式戦への出場を制限されていたからだ。トップチームだけでなく、そこに多くの選手を輩出した東京朝鮮中高級学校のサッカー部もながらく高校サッカー界の「ナンバーワン」と呼ばれた。

 1954年に東京朝鮮中高級学校が都立朝鮮人学校だった当時、第33回全国高校サッカー選手権大会に創部間もないにもかかわらず初出場。ベスト4に輝きながら、その後は民族教育への揺り戻しや、全国高体連の意向も働き、1996年まで公式戦に出場の道を閉ざされた。

 本書『無冠、されど至強――東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代』では戦後に在日朝鮮人のサッカー界を支えた金明植に光をあてているが、金明植は高校1年で全国4強時のレギュラー。蹴球団でも後に活躍するが、彼が日本サッカー界の裏面に名を刻むのは指導者としての功績が大きい。