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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

命ある限り夫、娘、息子が生きた証しを残したい――。
津波で家族3人を奪われた看護師が訴える「心の復興」

――宮城県の看護師・尾形妙子氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第12回】 2011年11月8日
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 3月11日の震災で、家族3人を失くした遺族がいる。

 遺族の声が新聞やテレビから次第に消えつつある今、改めてこの人たちの「声なき声」に耳を傾けることが必要ではないか。

 今回は、夫、娘、息子を津波で亡くした看護師に取材を試みることで、「大震災の生と死」について考える。


3月11日、私の死生観は変わった
死を中心に人生を考えるようになった――。

看護師の尾形妙子さん。宮城県東松島市内の病院で、看護部長を務める

 「すごくわかるの。あの3人の思いが……。私のことが心配で仕方がない。悲しんだり、へこんでいると、夫や娘、息子があの手この手を使い、勇気づけようとしてくれる。『ママ、そんな落ち込んでいたら、こちらはゆっくりできないよ』。この半年、そんな声がするくらい」

 尾形妙子さんは、私からの取材依頼を引き受けた理由をこう答えた。3人の死を受け入れることはできていないという。

 「3月11日以降、私の死生観が変わった。死ぬために生きるというか……。死を中心に考えるようになった。3人の死を受け入れるということではなく、これからも一緒に生きていく。いずれ、あの世で会えると言い聞かせている」

 そして、ある医師との出会いを語った。

 「3人の後を追いたいと思ったこともある。だけど、あの人たちはそんなことを望んでいない。最近、知り合った女性の先生から、こんなことを言われたの。そしたら、気が楽になった。『家族3人がいなくなったのだから、悲しくなるのが当たり前。あっちの世界に気持ちだけは行っておいで。だけど、必ず戻っておいで』って」

 3月11日午後2時46分、地震発生の瞬間、尾形さんは勤め先である東松島市(宮城県)の病院の3階の部屋にいた。急いで病室に向かおうとしたが、廊下に出ると、揺れは一段と激しくなった。階段付近の防火扉が大きな音を立てて、開いては閉まる。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

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