3月11日、震災当日の夜から、多くの報道番組で津波の解説を続けた地震学者がいる。彼はその後、被災地を何度も歩き、津波の実態に迫った。今回は、その学者に取材を試みることで「大震災の生と死」に迫る。


高さ十数メートルの“水の壁”が
視界に入ったときにはもう遅かった

(上)東京大学地震研究所の都司嘉宣・准教授、(下)東京大学地震研究所(東京・文京区)

 東京大学地震研究所の都司嘉宣(つじよしのぶ)准教授は、3月の震災で発生した巨大津波の特徴を、釜石市(岩手県)で聞き取ったことを基にこのように説明した。

「地震後30分間は、市街地の中では異変を感じなかった。市の広報が、大津波警報の発令を告げるばかりだった。このようにして住民を油断させておきながら、突如、防潮堤の背後に高さ十数メートルの “水の壁”がぬっと現れた。

 その壁の頂上から、滝のごとく居住地の中に大量の海水が注ぎ込み始めた。市街地の中の水位は瞬く間に上昇し、ビルの2階の窓から3階の窓、そして4階の窓まで浸水し、反対側の窓から流れ出し始める。

 市街地の木造家屋は漂流を始め、人々はなす術もなく飲み込まれる。そうして、わずか2分半後には、早くも海水の退却が始まり、恐ろしいスピードで引いていく」

 都司氏は、かねてから津波研究の権威として知られてきたが、震災の直後にはNHKなどの報道番組に頻繁に登場し、そのわかりやすく情熱的な解説が話題となった。

 都司氏は、地震が発生した午後2時46分から30分が過ぎる頃まで、津波が小さな波としてしか現れなかったことが、多くの住民を油断させ、避難を遅らせた一因と見ている。