小売業の破壊的変化は、そのままリアル店舗の危機を意味するのではない。ハイテクとハイタッチ(人間的触れ合い)を、いかにうまく融合させるかが店舗に問われている。


 米トイザらスによる先頃の破産法申請は、玩具業界を動揺させている。だが、同社の苦闘は最近に始まったことではない。2005年には業績立て直しのために66億ドルで身売りし、非公開企業となったが、その結果生じた負債が命取りとなった。

 このニュースは、「小売業の終末(retail apocalypse)」とも呼ばれる、店舗閉鎖の大きな潮流の一環である。eコマースの興隆、モノを買うよりも外食(や旅行)を好むようになった消費者嗜好、長年にわたる店舗の過剰供給。これらが組み合わさり、従来型の小売業の経済的メリットは明らかに減少してしまった。

 しかし、もう少しよく吟味してみると、定説がそのまま正しいわけではないようだ。

 アマゾンは、リアル店舗の獲得に積極的に乗り出しており、6月には食品小売チェーンのホールフーズを137億ドルで買収した。デジタルで強い存在感を確立しているその他の企業も、アップルからメガネ通販のワービーパーカーまで、リアル店舗に進出している。したがって明らかに、問題は小売業そのものではなく、レガシー企業が新たなモデルへの適応能力を欠いていることである。

 ダレル・リグビーが2011年のHBRの記事「デジタルを取り込むリアル店舗の未来」で論じているように、小売業界は50年周期で大きな破壊的変化を経験している。都市中心部の繁栄は、デパートを誕生させた。自動車の普及により、郊外住宅地とショッピングモールが生まれた。トイザらスは、1950~60年代に生じたカテゴリーキラー(特定カテゴリーの商品だけを豊富な品揃えで低価格販売する業態)とディスカウントストアの潮流のなかで登場した。

 その後、経済は急速に変化していく。郊外に居住する人が増え、州をまたぐ高速道路の発達により流通・物流が改善されるにつれて、1つの拠点で特定の商品分野に重点を置くことが理にかなうようになった。低価格かつ豊富な品揃えで商品を提供する巨大店舗が、町やショッピングモールの小規模な小売業者を押しつぶした。

 このような環境で、トイザらスは栄華を誇った。特定の年齢層の人々は、素敵な玩具で埋め尽くされた棚が、果てしなく続く売り場を訪れたときのワクワク感をご記憶だろう。1つの店で何時間も楽しく遊ぶことができた。地元の玩具店は明らかに見劣りがした。親の立場としては、「いつでも低価格」に惹かれたものだ。

 今日、小売業はふたたび改変の過程にある。トイザらスは、業界の環境が自社に不利となるなか、変化に適応できなかった。延々と続く売り場はいまや、何でも手に入るオンラインと比べると見劣りする。そして最安値は、アマゾンのほか、ウォルマートやターゲットなどでも見られる。

 もっと根本的なレベルで言うと、トイザらスのような小売業者にとっての課題は、リアル店舗の基本的な機能が変化したことである。かつて、店舗は取引・売買を促進するよう最適化されていた。レジは豊富に設置され、すぐに見つかった。店舗の成功は、売り場面積当たりの売上高や、平均取引規模のような尺度で測られた。

 しかしいまでは、取引はいつどこでも生じうる。消費者は、食卓にいるときや、電車を待っているときでも、関心を引こうと競う数多の小売業者の中から検索し、価格を比較し、注文することができる。長大な売り場の魅力は、「すぐさま買えるという喜び」に取って替わられた。今日のリアル店舗は、取引以上の何かを満たす必要があるのだ。