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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

“正気”を失う孤立マンションで祈り続けた家族の無事
父はあのとき、死ななければいけなかったのか――。

――石巻葬儀社・太田かおり氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第13回】 2011年11月15日
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 震災で家族を失った遺族を、新聞やテレビではあまり見かけなくなった。遺族はその死にいかに向かい合い、何を感じているのか。私たちが被災者を語るとき、本来、ここが原点になるべきなのではないのだろうか――。

 今回は、葬儀社を経営する父を失い、その後を継いだ女性を取材することで、「大震災の生と死」について考える。


「父は生きている」とひたすら願った
半年経っても現実を受け入れられない

石巻葬儀社の専務取締役、太田かおりさん。亡き父の代わりに会社の経営を担う(上)。創業80年を越える石巻葬儀社(宮城県石巻市)(下)

 「まだ、父の死を受け入れることはできていない。毎日、無意識のうちに悲しい。漠然とした悲しい思いが半年以上、続いている」

 太田かおりさんは、目にうっすらと涙を浮かべ、思いを語った。父の太田尚行さん(69)は、創業80年を越える株式会社石巻葬儀社(本社・宮城県石巻市)の社長を、長年にわたり務めていた。かおりさんは父を専務取締役として支え、16人の社員を束ねてきた。

 「父がいなくなった感覚がない。3月11日の朝も、地震が起きた瞬間も、この事務所で仕事をしていたから……」

 会社の事務所から1キロほど離れた家には、母(尚行さんの妻)と姉が生活しているが、3人が集まると父の話になるという。

 「父が座っていた椅子の背もたれには、父の服がかけられている。父があの日、かけたままの状態で……」

 3月11日午後2時46分、激しい揺れが起きた。1時間を経た後、津波は会社がある市中心部の中里町2丁目にも押し寄せた。そのとき、かおりさんは父と連絡がとれなくなった。

 自宅にいた尚行さんは、会社にいるかおりさんや社員が心配になり、事務所に車で向かった。その後、行方がわからなくなった。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

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