村田諒太選手がWBA世界ミドル級王座にかがやいたことは、ボクシングファンのみならず日本中で大きな話題となりました。その村田選手が影響を受けた本だと語っているのが、元統一世界ヘビー級王者マイク・タイソンの自伝『真相』です。なかでも彼がもっとも興味深かったという、タイソンとその師カス・ダマトの交流について、これから3回にわたって紹介していきます。1回目は、タイソンとダマトの運命的な出会いの部分を『真相』からハイライトで掲載します。

師カス・ダマトとの出会い

たび重なる悪行により、少年院に送られたタイソンは、院内で元プロボクサーである教官のボビーと出会い、ボクシングに興味を持ち始める。タイソンの熱意と才能にほだされたボビーは、伝説のトレーナーをタイソンに会わせることにした。

 1980年3月のある週末、ボビー(教官)と俺はニューヨークのキャッツキルへ車で向かった。カス・ダマトのジムは町の警察署の上にある集会所を改修したものだった。窓がなく、古めかしいランプが天井から吊り下がって光を灯していた。壁を見るとたくさんポスターが貼ってある。活躍している地元の少年を取り上げた記事の切り抜きだった。

フロイド・パターソン、ホセ・トーレス、そしてマイク・タイソンと世界チャンピオンを育て上げたボクシング界の名伯楽カス・ダマト (Photo:(c)Ken Regan/Camera 5)

 カスの見かけは、冷徹非情なボクシング・トレーナーそのものだった。背は低く、頭は禿げていて、がっちりした体で、いかにも屈強だった。話しかたも強気で、顔に笑いじわなんてひと筋もない。

「やあ、俺がカスだ」と、彼は自己紹介した。きついブロンクス訛りだった。テディ・アトラスという若いトレーナーもいっしょにいた。

 ボビーと俺はリングに上がって、スパーリングを開始した。俺は最初から力強く、リング狭しと動き回ってボビーを打ちまくった。ふだんは3ラウンドまでやっていたが、このときは2ラウンドの中ごろ、ボビーの右が何度か俺の鼻に当たり、鼻血が出始めた。痛みはなかったが、顔じゅう血だらけになった。

「そこまで」と、アトラスが言った。

「いや、このラウンドは続けさせてください。もう1ラウンド残ってるじゃないですか」と、懇願した。なんとかカスにいいところを見せたかったんだ。

 だが、カスにはすでにわかっていた。俺たちがリングを下りると、カスは開口一番、ボビーにこう言ったそうだ。「未来の世界ヘビー級チャンピオンだな」 (『真相』49~50ページより)