本の概念は変わってしまったのか
近年、雑誌の売上げが落ちる一方で、付録が付いた雑誌の売れ行きは好調です。
それらの雑誌を買う「読者」は、雑誌の内容に興味を持って手に取るのではなく、付録の商品の価値や希少性に魅力を感じている人が少なくありません。極端な人になると、付録ほしさに雑誌を買い、読まずに捨ててしまう人もいるようです。
こうなると雑誌の編集者は、いったい何を売っているのかさえわからなくなってしまうでしょう。
どんな形であれ、物が売れることは価値が認められたことであり、否定することではありません。売れないより売れたほうがいいのは間違いありません。
しかしこのケースでは、読者を付録で釣ったような形になっています。雑誌を編む編集者としてある種の気恥ずかしさを感じないのでしょうか。私が知るかつての編集者には、そうした感覚があったような気がします。
出版社のなかには、あまり部数が売れなくても、特定の学問分野に特化し、そこではなくてはならない文献を出版しています。またある出版社は、社会のマイノリティに光を当てつづけているので、どうしても部数は伸びません。これらは売上げでは測れない価値ある出版活動だと思います。しかし、売れた本だけに意義があると言う人はこう指摘するのです。
「どんなに良いものでも、売れなければ誰の目にも触れることはない。必要とされていないし、評価されていないのと同じである。もはや商売としては成り立たないので、国がお金を出して文化遺産として保護すべきだ」
本の概念は、ここ何年かの間に変わってしまったのでしょうか。