職あれば食あり
【第27回】 2012年1月26日 まがぬまみえ [ライター]

規則正しい昼夜逆転生活で若さを堅持!
「歌う審判」さいたまんぞう63歳の果て無き夢とは

 寺尾聰の『ルビーの指輪』と松田聖子の『白いパラソル』がヒットチャートを賑わせていた1981年、とぼけた味の『なぜか埼玉』で一躍、有名人となった「さいたまんぞう」さん。そのデビューから今日に至るまでの話は、前編でご紹介した通りである。

 月日は流れて2012年、なぜか消えない一匹羊のさいたまんぞうさんがインターネット時代に抱く夢と野望とは――。

「さいたまんぞう」さんは
“あの映画”でAKBと共演していた!?

「ぼくね、歌に関しては実力もないですし、それで行こうという気はさらさらありません」

 ところは変わらず、東京都中野区にある喫茶店。さいたまんぞうさんが、やけにあっさりとこう言う。

「そ、そーなんですか?」

「そ。それよりも先に審判です。審判タレントとしての地位をね、まずは確立しないと」

 ところで、審判タレントとは何なのだろうか。

「要するに、ま、審判でタレントギャラをもらいたい訳です」

「と言いますと?」

「たとえばですね、『年金アウト!』でも『政治家アウト!』でもなんでもいいんです。きわどいジャッジが必要となった時には、必ず呼ばれるタレントってことです」

 これも、知る人ぞ知る事実ではあるのだが、さいたまんぞうさんはあの、今をときめくアイドルグループAKB48のメンバーと、映画『もしドラ』で共演もしていた。

「ま、あれもその一つですよね。あれだって、事務所から働きかけた訳じゃないんですよー。監督からじきじきに、ぼくのところへ話が来たんですから」

昼夜逆転生活でも頭髪以外異常なし!
63歳現役審判員の「若さのもと」とは?

 何を隠そう、一部マニアの間では、審判と言えばさいたまんぞう、さいたまんぞうと言えば審判というくらいに有名人である。その審判キャリアは、芸能歴よりも長い33年に上る。

「そうです、審判はまあ、実益を兼ねた趣味というところです」

 さいたまんぞうさんが草野球の審判を始めたきっかけは、デビューする2年前のある新聞広告にあった。

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まがぬまみえ [ライター]

1970年福島県生まれ。日本経済新聞社記者として7年半勤務。田舎暮らしに挫折し、なりゆきでフリーのライターに。「働くこと」「生きること」「人と組織の幸福な関係」を追いかけながら、 実は「働かなくても幸せに生きる」方法を探っている。労働経済学者、玄田有史氏との共著に『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(幻冬舎)がある。


職あれば食あり

人は食べるために働くのか、それとも、働くから食べなければならなくなるのか。そんな素朴な疑問を解き明かすべく、さまざまな職業に従事する人々のランチと人生を追いかける。「職」と「食」の切っても切れない関係を解きほぐす、お仕事紹介ルポ。

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