寺尾聰の『ルビーの指輪』と松田聖子の『白いパラソル』がヒットチャートを賑わせていた1981年、とぼけた味の『なぜか埼玉』で一躍、有名人となった「さいたまんぞう」さん。そのデビューから今日に至るまでの話は、前編でご紹介した通りである。
月日は流れて2012年、なぜか消えない一匹羊のさいたまんぞうさんがインターネット時代に抱く夢と野望とは――。
「さいたまんぞう」さんは
“あの映画”でAKBと共演していた!?
「ぼくね、歌に関しては実力もないですし、それで行こうという気はさらさらありません」
ところは変わらず、東京都中野区にある喫茶店。さいたまんぞうさんが、やけにあっさりとこう言う。
「そ、そーなんですか?」
「そ。それよりも先に審判です。審判タレントとしての地位をね、まずは確立しないと」
ところで、審判タレントとは何なのだろうか。
「要するに、ま、審判でタレントギャラをもらいたい訳です」
「と言いますと?」
「たとえばですね、『年金アウト!』でも『政治家アウト!』でもなんでもいいんです。きわどいジャッジが必要となった時には、必ず呼ばれるタレントってことです」
これも、知る人ぞ知る事実ではあるのだが、さいたまんぞうさんはあの、今をときめくアイドルグループAKB48のメンバーと、映画『もしドラ』で共演もしていた。
「ま、あれもその一つですよね。あれだって、事務所から働きかけた訳じゃないんですよー。監督からじきじきに、ぼくのところへ話が来たんですから」
昼夜逆転生活でも頭髪以外異常なし!
63歳現役審判員の「若さのもと」とは?
何を隠そう、一部マニアの間では、審判と言えばさいたまんぞう、さいたまんぞうと言えば審判というくらいに有名人である。その審判キャリアは、芸能歴よりも長い33年に上る。
「そうです、審判はまあ、実益を兼ねた趣味というところです」
さいたまんぞうさんが草野球の審判を始めたきっかけは、デビューする2年前のある新聞広告にあった。