ユーロ分裂の危機を抱える欧州の隣で、「イランの核開発疑惑」が世界秩序を根底から揺さぶっている。背景にイスラエルとパレスチナの対立があり、底流には大国による核独占体制の瓦解、キリスト教国による世界支配の終焉という歴史的な潮流がある。
イランも米国も戦争は望んではいないが、互いに手詰まりで、解決の糸口は見えない。切り札のように言われるのが「イスラエルによるイラン核施設への空爆」だが、強行すれば、ホルムズ海峡に機雷がバラ撒かれることを覚悟しなければならない。力による解決は、世界を深刻な危機に突き落とす。
原油の輸送が途絶え、日本経済は想定外の混乱に曝されるだろう。遠くにあるイランは、「深刻な事態」とされても実感が伴わない。考えたくもない話だが、われわれの暮らしを直撃するリスクを秘めている。
「米国の都合」優先がもたらす矛盾
昨年9月、イラン南部のブシェールで100万kWの原発が運転を始めた。中東のイスラム国で初めての商業運転だ。イラン政府はさらに2基をここに増設する。「核の平和利用」とされているが、米国などは「核の濃縮を進めようとしている」という疑惑の眼差しを注いでいる。
原発で核燃料を燃やせばプルトニウムが出来る。原爆の原料だ。狭い日本に54基もの原発を立地しプルトニウムを作り続けている裏には、いつでも核兵器を造れるという潜在的核保有という力を維持する狙いがあった、とも言われている。被爆国の日本は「核兵器開発」を否定し、他国も納得していた。
イランが「核兵器への転用は考えていない」と言っても、日本と同列に見る国はないだろう。米国の核の傘にある日本と違い、イスラエルと対峙するイランには「核武装」が軍事・外交に直結する事情がある。