マネジメントとは組織で最も非効率な活動かもしれない。部下の仕事を監督する時間は膨大であるうえ、コストがかかり、意思決定や対応も鈍重になる。取引コストの点から、組織ではなく市場の調整力を評価する経済学者もいるが、市場は複雑な活動を処理するのは不得手である。

では、マネジャーがいなくても、調整が可能で統制を保ちながら、自由と融通性を享受できたらどうだろうか。マネジメントがマネジャー抜きで実践できれば、素晴らしいことだろう。

こんな夢のようなマネジメントを実践しているのが、世界最大のトマト加工業者のモーニング・スターである。同社で実践されている自主管理の方法と、その長所と短所を解説しつつ、この新しいマネジメント・モデルの未来を探る。

マネジャーの存在に価値はあるのか

 マネジメントは、組織で最も非効率な活動ではないだろうか。

 チーム・リーダー、部門長、バイス・プレジデントが部下たちの仕事の監督に費やす無数の時間について、考えてみてほしい。マネジャーの大半は懸命に仕事をしており、当人たちに問題があるわけではない。マネジャーの多い組織は鈍重でコストがかさむため、非効率を招く。

ゲイリー・ハメル
Gary Hamel
ロンドン・ビジネス・スクール客員教授。また、マネジメント・イノベーション・エクスチェンジ(ウェブ上でマネジメント・イノベーションを研究する組織)のディレクターを兼ねる。6冊目となる著書What Matters Now: How to Win in a World of Relentless Change, Ferocious Competition, and Unstoppable Innovation, Jossey-Bass, 2012. が2月に刊行された。

 幾重もの管理階層は、どんな組織にとっても重荷である。この重荷はいくつもの形を取る。

 第1に、マネジャーは間接費を押し上げる。組織の拡大とともに、マネジャーにかかるコストは絶対額が増えるばかりか、コスト全体に占める比率も高まっていく。小さな組織であればマネジャー1人で平社員10人を管理できるかもしれない。この1対10という割合を保とうとするなら、平社員10万人の組織ではマネジャーの数は1万1111人になるだろう。マネジャーを管理監督するために1111人が余計に必要なのだ。

 しかも、経理、人材開発、経営計画といったマネジメント関連の業務に数百人の社員が配置されるはずである。組織が複雑さに耐えかねて潰れてしまわないよう、支えるための仕事である。仮にマネジャーの報酬が、最下層の社員の平均3倍だとするなら、支払い給与総額の33%がマネジャーに振り向けられている計算になる。どう考えても高コストである。

 第2に、階層型マネジメントの下では、一般に、重大な判断を誤る危険が大きい。事の重大性が増すにつれて、判断権者に意見できる立場の人は少なくなっていく。どの階層においても、慢心、近視眼、無邪気などのせいで判断の誤りが起きるおそれはあるが、判断権者があらゆる面で圧倒的な権力を持っている場合には、その危険はこれ以上ないほど大きくなる。だれかに絶対君主のような権力を与えると、遅かれ早かれとんでもなく悲惨な事態が起きるだろう。

 これと関連して、最も権力の大きな人は現場の実情にだれよりも疎いという問題もある。トップによる判断を現場で実行しようにも、にっちもさっちもいかない例は多い。

 第3に、管理階層が多いと何人もの上司に承認を得なくてはならないため、迅速な対応ができなくなる。マネジャーは権限の行使に熱心なあまり、すみやかに判断を下すどころか往々にしてあえて時間をかける始末だ。偏りが生じるという問題もある。

 階層組織の下では、新しいアイデアを潰したり変えたりする裁量が、ともすれば1人に集中するため、その人物の偏った利害や関心によって判断が歪められる。

 最後に、組織の上層部に権限が集中することの弊害がある。といっても、何もかも牛耳らないと気が済まない人物が時折いる、といった話ではない。ピラミッド型の組織は底辺に近い層に権限が行き渡らないようにできており、それが問題なのである。

 たとえば、たいていの人は、消費者としての立場では自分の一存で2万ドル以上の新車を買えても、社費で500ドルの執務用の椅子を購入する権限は持たないだろう。各人の権限を狭めると、夢を持ち、想像力を膨らませ、組織に貢献しようというインセンティブを削ぐことになる。