医者になった長男と休学してアルバイトに明け暮れた次男

 長男の寿一(ひさかず)は、広島市内の進学校を卒業し、医学部へ進学。今は医科大学で教授をしている。私の父や兄も医者だが、その血筋を受け継ぐ結果となった。最初から家の商売を手伝う気などなかったようである。

 靖二は小さい頃から野球少年で、地元の高校に進んだ。もっとも、高校に進学して間もなく体を故障して、野球はやめてしまい、当時から休みの日にはアルバイトでダイソーを手伝うことが多かった。とはいえ、靖二もまた、将来は親父の会社に入って働こうなどとは考えていなかったようだ。

 高校を卒業するにあたり、岡山に新設される大学を受けることになった。新設大学の第1期生として社会学部産業社会学科に入学するのだが、靖二はなんと入学するなり1年間の休学届を出し、ダイソーで働き始めたのである。

 ちょうどダイソーが拡大期に入っていて、人手が慢性的に足りない時期ではあったのだが、勉強より働くほうが面白いと思ったのだろうか。そこは、働き者の私の血筋である。関西地区や北陸地区の店舗や倉庫で1年みっちりと働き、翌年からは大学に復学するのだが、その後も休みの日には大学近くの店舗でアルバイトをしていた。

 そこまでダイソーを身近に感じていながら、靖二は大学卒業後にダイソーに入社するつもりはなく、私も入れる気持ちはなかった。結局、就職したのは広島を中心に九州地区など西日本で広くスーパーマーケットやショッピングモールを展開するイズミだった。

 良い会社に入れてもらったものだ。イズミにはダイソーも出店しているので、山西泰明社長をはじめ経営者や幹部もよく知っているが、働き者の社員の多い、実に鍛えられている会社というイメージが強い。

 一部のスーパーの営業マンが東広島のダイソーまで商談に来る場合、だいたい、金曜日の16時頃にアポイントメントを入れてきて、終わったら広島市内に飲みに行き、1泊して帰るというのがお決まりのパターンなのだが、イズミの営業マンは昼の13時、14時に来て、パッと仕事を終え、ササッと帰る。そんな会社で靖二は、1995年から2015年までの20年間勤め、バイヤーとして16年鍛えてもらった。

 その靖二が2015年4月に大創産業の一般職として入社してきた。なぜ、私はそれを許したか。