優れたリーダーの条件とは何か。一般に重要だとされている、リーダーらしさをアピールする態度や意識は、効果を発揮するどころかリーダーシップ能力にマイナスとなると筆者らはいう。英国海兵隊の新兵を対象とした調査で、フォロワーらしい態度の人ほどリーダーとして認められることが明らかになった。


 優秀なリーダーになりたい人へのアドバイスというものは、尽きることがない。なかでもひときわ好まれそうなのは、「成功するリーダーになりたければ、フォロワーではなく、リーダーらしく見なされるように努めるべし」というアドバイスだ。

 これを実践するためには通常、次のような助言がなされる。リーダーシップを発揮する機会を見出し、人々にフォロワーではなくリーダーを連想させるような態度(支配や自信など)を見せなければならない。そして、何にも増して、同僚より抜きん出て優れていることを見せなければならない、と。

 しかし、この助言には問題がある。リーダーになる人が実際に傑出しているという証拠は限られている。それだけでなく、さらに重要な点がある。リーダーを目指す人が、自分は特別で他者より優れているのだと証明しようとすると、かえってリーダーシップを発揮できなくなるおそれがあるのだ。

 その理由は簡単である。リーダーシップ論で有名なウォーレン・ベニスが述べたように、リーダーの優秀さはフォロワーを巻き込む能力によって決まるからだ。フォロワーがいなければ、リーダーシップは意味を成さない。本稿筆者の1人(ハスラム)が2011年の著書The New Psychology of Leadership(スティーブン・ライシャー、マイケル・プラトウとの共著)で述べているが、リーダーシップで成功するカギは、個人としての「私」ではなく、集合的な「我々」にあるということだ。

 換言すると、リーダーシップとは、リーダーとフォロワーの関係の中で生じるプロセスなのだ。

 両者は、同じ社会的集団のメンバーであるという認識によって結びついている。リーダーが「チームの一員、我々の1人」であることを示す行動を取れば、より優秀なリーダーとなる。なぜなら、そのリーダーはチームの価値観、関心、経験を共有し、個人の利益よりもチームの利益を高めることを考え、「チームのために行動する」からである。

 この観点から見ると、リーダー志望者に対する一般的なアドバイスには、重大な欠点があることがわかる。同僚より目立とうとするのではなく、よいフォロワー――チームの一員としてチームのために働こうとする人――だと思われるように振る舞うほうが賢明だろう。すなわち、リーダーは人々から「あちら側」ではなく「我々側」の人間と見られる必要があるのだ。自分自身のためだけ、あるいは悪くすると「あちら側」のためではなく、「我々のため」に動く人だ、と見なされなくてはならない。