あなたはこれまで、仕事でもプライベートでもたくさんの約束を交わし、そして裏切ってきたのではないか。相手をがっかりさせたくないという気持ちから用事を安請け合いした結果、期限の直前でキャンセルやリスケをしてしまった経験は誰しもあるだろう。筆者は、そうした小さな不義理を積み重ねていると、職場でも私生活でも信頼を失うと警鐘を鳴らす。


 先日、友人が駐車場に戻ると、車の側面にすられたキズが見つかった。以来、損害保険会社に電話をするたびに、彼は同じメッセージを耳にする。「現在、電話がつながりにくくなっています。メッセージをお残しください。本日中に必ず折り返しご連絡いたします」

 彼はこれまでに十回以上電話をかけたが、実際に折り返し電話があったのはわずか2回だ。なぜ留守録用メッセージで本日中に必ず折り返し電話すると請け合っておきながら、実際に電話を返すのは、折り返すと約束した回数のわずか20%にすぎないのか。その理由はおそらく、私たちが「月曜日にメールに返信する」と約束したり、「金曜日までにメモを送信する」と約束したりしておきながら、実際にはやらないのと同じだ。

 なぜ誰もが、約束しておきながら実際に約束を果たせないのか。

 無理な約束をしすぎるのだ。相手をがっかりさせたくない一心で、相手が聞きたいだろうと思うことをつい口にする。その瞬間のプレッシャーに負けるわけだが、後になってどれほど大きなプレッシャーを感じるかには、考えが至らない。実際に請け負ったことには、どのくらいの時間が必要なのかと考えることもない。約束した期限までの間には、緊急事態や遅延が必ず発生するにもかかわらず、そうした事態に対処できるような予備日を予定に組み込んでおくこともしない。

 数年前まで、私は約束した打ち合わせをしょっちゅうキャンセルしたり、延期したりしていた。その一方で、頼まれ事には(「ノー」と断るよりもはるかに容易なので)よく「イエス」と応じていた。約束の期限が近づくにつれて気が重くなり、キャンセルしたくなっていく。そして実際しばしば、キャンセルしていた。

 そんなあるとき、私はスティーブン M. R. コヴィーの著書『スピード・オブ・トラスト』を読んだ。同書は、信頼の大切さを説いている。それまで私は、自分が信頼できる人間だと常に考えていた。だが同書の著者に言わせれば、約束しておきながらそれをキャンセルするのなら、あなたは信頼できない人間だということになる。みずからの意志で約束したことを果たせなければ、その結果から信頼が生まれるはずもない。

 この本を読んだことがきっかけで、私はあることに気がついた。あまりに簡単に約束を反故にできるので、つい途中で放り出したくなるのだ。

 ショートメッセージ全盛のいまは、かつてないくらい簡単に、良心に痛みを覚えることなく、約束をキャンセルできる。約束した相手と話す必要はなく、相手と会う必要も、もちろんない。5分前になって、説明もないままキャンセルできる。ショートメッセージに絵文字をつけ加えさえすれば、あたかも義務を果たしたのとほぼ同じだと、自分に言い聞かせられる。

 とはいえ、キャンセルに至る思考過程では、やはり痛みが生じる。後ろめたさを感じるのだ。どうしようどうしよう、とさんざん悩んだあげく、優柔不断でいることに次第に疲弊していく。結局、約束はキャンセルしてしまい、自分に対する自信も揺らぐ。自分は物事を完遂できず、スケジュール管理はおろか自己管理さえできない、との確信が強まる。

 その影響は個人的な生活に及び、また確実に職場にも及ぶ。一度コミットしたことを守ることは、成熟の証しだ。任された仕事を完遂できない社員や、期日に遅れたり、仕事の質が低かったりする社員、あるいは遅刻の常習犯で会議をしょっちゅうすっぽかし、アポをキャンセルする社員は、他のチームメンバーの足手まといであり、雇用主にとっては負債同然の存在である。

 こうした悪習は至る所にはびこっていて、リーダーに昇進する人と一緒に悪習もついてくるケースが少なくないそれも上層部に行くほど、悪習に起因する職場の機能不全が拡大する。

 自分で責任を負わなければ、部下にも責任を課しにくい。自分が信用できなければ、他人も信用できない。リーダーにとってコミットメントが「守らなくてもいい行動規範」であるならば、どうやってチームを真にコミットさせることができるだろうか。自分で自分をコントロールできなければ、優れたリーダーにはなりえない。