東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。当連載では、第1回に震災から1年3ヵ月目の遺族の実情、第2回は市教委が計画した第三者委員会設置の意味、第3回は、遺族が指摘する調査記録の主な不審点を紹介した。今回は、今年7月8日の市教委と保護者側の話し合いで浮き彫りになった真実を取り上げる。

破棄されたメモの中に“大川小児童の重大証言”も?<br />大きく揺らぐ石巻市教委が作成した公文書の信憑性石巻市立大川小学校の児童保護者向け説明会に揃った、市教育委員会の新旧メンバー。震災からの1年4ヵ月で、5回目となる。(2012年7月8日、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

 先日の話し合いで主に議題となったのは、唯一生き残ったA教諭のFAXの手紙を巡る疑惑と、校庭で「山さ逃げよう」と訴えていた児童の証言だ。

 このFAXは、A教諭から昨年6月3日に届いたとされるもので、7ヵ月余り経った今年1月22日、突然、保護者の前に公表された。しかし、どのように市教委が受け取ったのかを巡って、話し合いの場で根拠を示すことができず、その真偽の曖昧さが、かえって浮き彫りになった。

 また、この児童の証言は、昨年6月4日の保護者説明会で、当時の担当指導主事が説明している。しかし、聞き取り記録の中には出てこないことから、指導主事が廃棄したメモに「山さ逃げよう」という重大証言が書かれていた可能性も高くなったのだ。

唯一生存した男性教諭からの
FAXをめぐる疑念が噴出

「大津市教委でも、把握していた事実を公表してこなかったですよね? 同じ教員として、大津市教委の対応を、どう思っていますか?」

 7月8日に行われた石巻市立大川小学校の保護者との話し合いで、唐突に保護者から質問された境直彦教育長は、蚊の鳴くような声で、こう答えた。

「これからきちんと調査をしてやらなければいけないことは、教育委員会として、当然のことだと考えています」

 いじめ自殺問題に揺れる大津市教委の例を見るまでもなく、教員組織であるはずの教育委員会に対する信用性が、いま大きく揺らいでいる。

 そんな中、石巻市教委の同日の話し合いにおいても、いくつかの真実が浮き彫りになった。例えば、教職員で唯一の生存者のA男性教諭が、保護者らに書いたとされるFAXへの疑惑が深まったのだ。

 このA教諭のFAXは、今年1月22日に行われた3回目の保護者向け説明会の中で、市教委が公表したもの。まず、「保護者の皆様」宛てのFAXには、A4用紙3枚綴りで、こう記されていた。

<あの日、校庭に避難してから津波が来るまで、どんな話し合いがあったかということですが、大変申し訳ないのですが、正直私には本当によくわからないのです>

<私が「どうしますか、山へ逃げますか?」と聞くと、この揺れの中ではだめだよというような答えが返ってきました(どなたが言ったか覚えていません)(その理由は余震が続いていて揺れが激しくて、木が倒れてくるというようなことだったと思います)…>

 一方、当時の柏葉照幸校長宛てにも、A4用紙1枚で、こう綴っていた。