傷病や障害によって働くことができなくなる可能性は、年齢や職業に関係なく、誰にでもある。生活保護受給者の約35%を占める傷病者・障害者の年齢やバックグラウンドは、実にさまざまだ。今回は、精神疾患によって生活保護を受給している35歳の女性の、生活保護受給までの経緯・現在の生活・自立への歩みを紹介する。
希望は、納税者になること
Photo by Yoshiko Miwa
「将来の夢は、人より多く税金を納めることです。今、生活保護のお世話になっている分を、そうやって返したいです。そのためには働ける身体になりたいから、今はしっかり治療をしたい。でも、時間がかかっています。『開き直って、治療に専念していいんだ』 と自分に言い聞かせているんですけど、開き直るのはなかなか難しいです」
こう語るのは、高野さとみさん(仮名・35歳)だ。細面で、くっきりした目鼻立ちが印象的な高野さんは、大きめの身振り手振りを交え、はきはきした口調で話す。何の予備知識も持たずに出会う人は、「仕事のできそうな聡明で積極的な女性」という印象を受けるだろう。しかし現在の高野さんは、うつ病・パニック障害などの精神疾患を抱えており、生活保護を受給しながら療養生活を送っている。発病のきっかけは、最初の勤務先での過労だった。
今、高野さんが自分自身に課している課題は、
「昼夜逆転を治すこと」
である。夜、全く眠れなくても、朝は6時には起きて朝食の支度をはじめる。炊飯器と電子レンジしかない台所で工夫をし、野菜・キノコを中心とし、肉か魚どちらか少しだけを添えた食事を作る。買い物に出かけられるコンディションの時に、「もやし2袋50円」「鶏胸肉100グラム38円」といったものを買い、調理して冷凍しておく。
朝7時に朝食を食べた後、どうしても眠くなることはあるけれど、なるべく外に出て起き続ける。夜は、日付が変わったら横になる。
2年ほど前の高野さんは、ほとんど寝たきりのような生活をしていたそうだ。食事らしい食事は摂れず、乾パンとスキムミルクだけで生き延びていたという。現在までの堅実な進歩の延長線上には、年単位の時間はかかっても、きっと生活保護からの自立と納税があるだろう。インタビューしながら、私は確信した。今は、根拠らしい根拠はないけれども。
自立を強く意識していた少女時代
高野さんは、1977年に四国地方で生まれ、短大卒業までを地元で過ごした。幼少期の記憶に残っているのは「とにかく家にお金がない」ことだという。着るもの・食べるものに不自由するほどではないが、住まいは長屋。
「みんなが持っているものを自分だけ持っていないことは、よくありました。リカちゃん人形とか、ファミコンとか。最初から、おねだりを遠慮しちゃうんですよ」