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大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

大川小児童の最後の足取りはどこまでたどれたか
初の現場検証でも曖昧にされた校庭での50分間

加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
【第11回】 2012年9月20日
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東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。震災から1年半が経過したが、事故原因の究明は道半ばだ。ようやく先月8月21日、石巻市教育委員会によって初めて、同校の現場検証が行われた。児童の遺族や地域の人たちも参加した画期的な出来事にも思われたが、実際には、遺族に不満の残る結果に終わったのだった。

 「1年5ヵ月かけて、動いた距離のなんと短いことか。市教委は、責任を曖昧なものにして決断を先延ばしにしている。それはまるで51分かけて180メートルしか動けなかった、あの日の大川小学校と同じ」

 宮城県石巻市立大川小学校の津波被災事故で、犠牲となった児童の遺族のひとりがためいきをつく。

 例えば、市教委が、子どもたちが1分しか逃げていなかったことを認めるのに1年、山に逃げたがっていた子どもたちがいたことを認めるのに、市教委が情報を把握してから1年……。

 市教委は、遺族から公文書の間違いの指摘を受けても、それを認め、訂正するまでに、気の遠くなるような時間をかけている。説明会での回答の内容も、後から「勘違いだった」と訂正し、やりとりが無駄になることも多い。

 ある遺族は、そんな不毛感に満ちた戦いをこう語る。

 「説明会での私たちの質問が、いわゆる“重箱の隅をつつく”ようなものになっている。だから、質問する方もつらく苦しい。でも、細かい質問をしないと、大事な部分の間違いを認めてもらえない。もう認めるしかない、という段階になると、市教委の回答は曖昧なものになり、あるいは“検討します”とまた先延ばしになる」

逃げた距離はたった185メートル
校庭での51分間と逃げた経路の謎

教頭に「津波が来ているから急ぎましょう」と言われて、子どもたちが走り始めたとされる、校庭と釜谷交流会館の間の道路付近を測る市教委と遺族。(2012年8月21日、石巻市釜谷)
Photo by Yoriko Kato

 先月8月21日、市教委は、同校の津波被災事故から1年5ヵ月が過ぎて初めて、現場検証を行った。子どもたちが学校を出てから被災するまでの経路と、おおよその距離を割り出すことのみを目的とした調査だ。

 日没前の強い西日の中、作業は行われた。参加したのは、指導主事、現在の大川小教諭、遺族、地域の人に、測量技師を加えた総勢約30人。教育長や担当課長、事故当時の元校長の姿はなかった。

 測量の結果、子どもたちが逃げたあの時の経路は、校庭から離れた遠い地点でも、185メートルあまりだったことが分かった。

 

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加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]

気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。最新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。
ブログ:http://katoyori.blogspot.jp/


大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”がついに解き明かされようとしている。この連載では、大川小学校の“真実”を明らかにするとともに、子どもの命を守るためにあるべき安心・安全な学校の管理体制を考える。

「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~」

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