「今日ではあらゆる組織が、変化に伴うリスクを軽減するために、あらゆる種類の市場調査を行っている。だが、まったく新しいものについて市場調査を行うことはできない」(『明日を支配するもの』)
ドラッカーは、真に新しいものには、イノベーションを行なった者や企業家には想定できなかったニーズや市場が必ずあるという。それはほとんど、自然の法則といってよい。しかも、市場調査がそれらのニーズや市場を発見できないことも、ほとんど自然の法則といってよいという。
その典型が、1776年にジェームズ・ワットが設計し、特許を得た鉱山の排水用蒸気機関だった。ワットが考えた蒸気機関の使途は、炭鉱の排水だった。したがって、売り込み先も炭鉱会社だけだった。
ところが、友人のマシュー・ボールトンが紡績工場に売り込んでみたところ、これが大当たりとなった。紡績工場へワットの蒸気機関を納入した15年後には、綿糸の価格が7割も下がった。
こうして史上初めて、衣料の大衆市場が生まれ、近代工場が生まれ、近代資本主義が生まれ、近代経済が生まれたのだった。
加えて、蒸気機関は、綿摘み労働力への需要を急増させ、消滅しつつあった奴隷制度まで復活させた。さらに米国においては、南北戦争を引き起こし、ついには奴隷制度の廃止までもたらした。
もちろん、このような展開を読んでいた経済学者や社会学者はいなかった。鉱山用のイノベーションであったのでは、産業を変え、政治を変え、社会を変えることまでは読み切れないのが当然である。
つまるところ、影響力の大きなイノベーションほど、その使途は予期できないものになるということである。市場がなく、真に新しいものには、市場調査は無効である。ないものについて調査はできない。
その昔、コンピュータの市場は、全世界で最大1000台とされていた。コンピュータの使途が科学計算用だった時代には、ビジネス用の市場は調査できなかった。
「いかなる市場調査といえども、現実の代わりをつとめることはできない。したがって、新しいもの、改善したものは、すべて小規模にテストする必要がある。つまり、モニタリングする必要がある」(『明日を支配するもの』)