人の暮らしさえない「孤島」の領有に、なぜかくもナショナリズムが沸騰するのか。

 地下資源や漁場という経済利得が絡むとも言われるが、人々の興奮に火を付けるのは「領土」に絡む戦争や侵略の記憶ではないか。領土問題は「戦争の傷跡」なのだ。

 尖閣列島、竹島、北方四島は日清戦争、日韓併合、第2次大戦という武力を伴った近代の不幸が生んだ痕跡である。忘れたい古傷を掻きむしれば、記憶の奥底に埋めてきた憎悪や反発が吹き出す。「被害者」が叫べば「加害者」はムキになる。冷静な議論が出来ない世論の沸騰が起こる。

 尖閣を巡る紛争は、日中双方の自重で最悪の事態は回避されつつある。挑発的な強硬姿勢を見せる中国も、武力行使につながりかねない偶発的事態は避けようとしている。衝突が不幸を招くことを双方の政府は分かっているからだ。

次は日本がカードを切る番

 次は日本がカードを切る番だ。紛争の引き金を引いたのは「尖閣の国有化」だから。石原都知事による買収という危うい事態を避ける配慮があったにせよ、「領土問題は棚上げ」という封印を解いたのは日本である。仕掛けた側に納め方を、まず考える責任がある。

 和解への入り口は「領土問題が中国との間に存在する」と認めることだ。その上で国際司法裁判所で第三者を交えて話し合う。

 通常の民事訴訟と同様、法廷ではそれぞれが主張を真っ向からぶつけ合えばいい。その過程で双方が歩み寄る「落としどころ」を探ることが肝要だ。判決をもらうことより、尖閣をどうすれば互いの利益と協調に役立つかを真剣に考える機会にしたい。島を奪い合うのではなく、共同管理にすることで歩み寄る。