今年の住宅着工戸数が、42年ぶりに100万戸を下回ることが確実となった。国土交通省の発表によると、今年1月~10月の実績数は65万914戸で、11ヶ月連続前年同月割れの数字であった。このペースで今年が終わるとするならば、年間合計は単純に10分の12をかけるとすれば78万戸、12月の数字を少し多めに見ると80~81万戸といった数字で落ち着くであろう。

高度経済成長と共に
成長してきた住宅関連業界

 1967年(昭和42年)の実績が991,158万戸。これ以後40年以上、日本はずっと平均して137万戸以上の住宅を建ててきた。1967年といえば学生運動が未だ盛んな頃で、この年には吉田茂やラストエンペラー溥儀が亡くなっている。ずいぶん昔のことだ。

 1960年頃から高度経済成長を支えた地方農村部の青年たちが大挙し、都市部に流入し始めた。政府は政策的に、労働過多になりはじめた農村地域の次男・三男の方々を、発展が著しくそして労働者不足に悩む首都圏の建築関連企業への就職を促す。こうした人々が故郷にもどることなく都市に定着し、そして住宅を求めた。

 こうした循環の中で、首都圏の人口は急増した。農村地域では代々受け継いだ農耕生活と結びついた家を使い続けることが多いから、新たな住宅が建設されることは少なかった。こう考えると1960年~80年代初頭において、住宅着工数と農村から都会への人口流入つまり都市化とは密接な関係にあったといえる。

 首都圏の主な県の人口増加率を5年ごとに見てみると、東京都は1947年~1960年まで7.8%~3.8%という驚異の増加率を示すが、以降は伸びが鈍化する。そして70年代になると0点台の微増となる。60年代後半になると、東京都の伸びが2%超に鈍化したが、一方周辺県の埼玉・千葉両県の人口が一気に増え、4~5%の増加率を示した。この間、住宅着工戸数は増加の一途をたどり、1973年には191万戸に達した。これはおそらく、もう二度と抜かれることのない記録であろう。

 その後、オイルショックの影響で一時的に数字は減るが、1980年くらいまでは150万戸程度を維持する(【図1】参照)。この間に多くの住宅関連企業が成長を遂げた。その後、1980年代後半のバブル期を経て、急激なバブル崩壊後の不況期にあっても住宅着工数は高い数字を維持し続ける。政府による金利優遇策やローン減税などの景気刺激策は、経済規模の大きい住宅市場を見込んだものが多く、それが功を奏し続けたのだ。こうして、日本は相当長い間、一定数の住宅を作ってきた。

Source:国交省「建設月報」 のデータを元に船井総研REBチームによって試算
1965年から1973年までの住宅着工の急激な伸びは東京都の人口増より埼玉県の人口増の方が大きく寄与している(①と②の比較)