個人と組織にとっての
「専門家キャピタル」

 東京オリンピックの開催に深刻なリスクを認める場合、尾身会長にとって今回の発言は、専門家としての権威や評判の価値、いわば自らの「専門家キャピタル」を守るための行動だと解することができる。

 政府や企業が「専門家」を使おうとする場合、個々の専門家にとって自らの価値を守る上で譲れない一線がどの辺りにあるのかを見極めることが重要だ。専門家(特に学者)は、経済的な利にさとい人や、自説にこだわらずに御用学者に徹することを役割と考える人もいるが、多くは「仲間内の評判」に敏感だ。専門家は専門家仲間によって承認され合うことによってその世界での価値を維持している。

 政府はこれまで、尾身氏の「専門家キャピタル」を大いに利用してきたが、今回同じ手が利かなくなったことに対してどう対処するのだろうか。

 いかにもありそうな選択肢は、(1)別の専門家を使う、(2)尾身氏に圧力を掛けて好都合な発信を強いる、の二つだが、どうなるか。

(1)は「ノーベル賞級の御用学者」が必要だが、適任者が急には見つからないかもしれない。(2)は、尾身氏に個人的な弱みがあるのか否かが問題になる。週刊誌などで、尾身氏の個人的なスキャンダルが見出しとなるような事態が今後起これば、背後で(2)のような事態が進行した可能性が大きいと推測できる。どちらにせよ、感じのいい進展ではない。

 三つ目の選択肢があるとすれば、(3)警告を無視してオリンピックを強行する、だろう。知性のかけらも感じさせない強引な方法だが、時間の切迫具合から見て、こうなりそうな予感はある。

政府が選んだ専門家が信用されなくなる
そんな未来が訪れかねない

 政府が、専門家が有する「専門家キャピタル」を各種の「会議」や「委員」などの立て付けを使って都合よく利用する行動は、今後も続くだろう。ただし、専門家の使い方があまりに粗末だと、そもそも政府が選んだ専門家が信用されなくなるという、政府レベルでの「専門家キャピタル」の毀損が起こりかねない。

 新型コロナも東京オリンピックも国民の関心の高いテーマだ。専門家としての尾身会長の扱い方いかんで、政府が使う専門家というものの価値が大きく動くことになるかもしれない。

 例えば一転して、政府が尾身氏の警告に耳を傾け、東京オリンピックの開催を断念した場合、「専門家」への国民の尊敬は高まるだろうし、菅内閣の支持率は上昇するかもしれない。

 政府に限らず、企業でも学校でも、「専門家」の扱い方は重要であると同時に難しい。もちろん、専門家自身の身の振り方も簡単ではない。