100万人の“グランパ”(おじいちゃん)と呼ばれたすごい日本人がアフリカにいた!
20代で単身アフリカに渡って50年――。ケニアで年商30億円のナッツ工場を経営し、国の人口の40人に1人にあたる100万人の生活に関わっていた伝説の日本人起業家、佐藤芳之さん(73歳)。
4年前、ナッツ工場をタダ同然でケニア人の同僚に売り払った佐藤さんは、68歳にしてルワンダに移り、公衆衛生ビジネスでゼロからスタートを切った。次なる目標は50年で新たに100万人を養うこと。
座右の銘はジェームズ・ディーンが残した「永遠に生きるがごとく夢みて、今日、死ぬがごとく生きろ」。その言葉を半世紀以上にわたりアフリカの地で実践してきた佐藤さんの目を通して見える世界とは……

動物から人間に変わる瞬間

ケニアが育てた100万人の“グランパ”(1)<br />土に憧れるIT長者佐藤芳之(さとう・よしゆき)1939年生まれ。宮城県南三陸町で幼年期を過ごす。1963年、東京外国語大学インド・パキスタン語科を卒業後、アフリカ独立運動の父エンクルマに憧れて日本人初の留学生としてガーナへ渡り、東レ・ミルズに現地職員として入社。製材工場、鉛筆工場、ビニールシート工場、ナッツ工場など、小規模な工場を次々と立ちあげ、うち一つを最終的に「ケニア・ナッツ・カンパニー」として年商30億円の企業にまで成長させる。2008年に同社をタダ同然で譲渡したのちは、ルワンダに移り、バイオ液を利用した公衆衛生事業に取り組んでいる。現在73歳。趣味は水泳と草原で聴くマーラー。怖いものは妻。

 東京に降り立つと、自分が動物から人間へ変わるのを感じる。

 私が半世紀前から生きているのは、他人の食糧を盗んだ者が当然のように殺されたり、一夜のうちに大事な畑をゾウの群れにめちゃくちゃにされてしまったりするような場所だ。また、4年前からビジネスを本格的にはじめたルワンダでは、みなさんもご存知の通り、たったの100日間で80万~100万人が殺された。

 日本にいると「一人の命は地球より重い」と言われたりするけれど、アフリカにいると「一人の命はパンよりも軽い」と実感する。動物がサバンナで生き延びるように、誰もが食べるために一生懸命だ。

 そういう場所から飛行機で16時間ほどで辿りつくと、東京はまるで別世界。何者からも命を狙われないし、無防備な恰好でぼーっと歩いていても危険な目にあうことはない。だから、着いて数時間が経つと、自分が動物であることをすっかり忘れてしまう。肉体ありきの存在であることが頭から抜け落ちてしまう。

 そうして人間になった私は東京の街中で、スマートフォンをいじりながら進む人々のあいだを歩いていき、難しいチャートやパワーポイントを持ち出してくるビジネスマンと話したり、眼鏡をかけた細面の記者や編集者と会ったりする。心地のいい椅子に座ってコーヒーを飲み、ガラス越しにビル群を眺めているうちに、たくさんの言葉が交わされて物事が進んでいく。

 このギャップは一体何だろう?

 半年に一度ほど東京を訪れるたびに考え込んでしまう。