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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

「レミゼ」音楽監督・山口琇也さんが語る
本田美奈子さんの「研究法と歌唱法」

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第14回】 2012年11月16日
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 本田美奈子さんはアイドル・ポップスからロックを経てミュージカル、そしてクラシックの声楽を学び、やがて同じ曲の中でも自由に歌唱法を往復できるまでになるのだが、どのようにして驚異的なテクニックを身につけたのだろうか。

歌唱レッスン13年間(1991-2004)

「レ・ミゼラブル」のエポニーヌを演じる本田美奈子さん(2000年、写真提供=東宝演劇部)

 「ミス・サイゴン」(1992-93年)の公演後、94年と95年にポップスのアルバムを2枚(「Junction」「晴れときどきくもり」)発売しているが、22曲中4曲の間奏や後奏でアドリブのスキャットを入れ、三点ハ(hihi C、ド)とニ(hihi D、レ)を声楽の発声(頭声)で歌っている。

 当時のディレクター牧田和男さんには何も言わず、ポップスの製作中も声楽のレッスンに通っていたのだそうだ。録音では「ここに入れたい」と、突然ハイトーンのスキャットを歌ったという。以上は連載第10回第11回に書いた。

 中低音域の地声(胸声)から二点ハ、ニ、ホ(hi C、D、E)のミックス・ボイス(後述)を経て、裏声(頭声)の二点ヘ(hi F、ファ)以上、三点ホ(hihi E、ミ)まで自由に出せたようだ。追悼盤として2006年4月に発売された「心を込めて」(日本コロムビア)に収録された「Lovin’ You」で、当時の最高音であるhihi E(ミ)を聴くことができる。

 1991年1月に「ミス・サイゴン」の配役が発表されると、春から東宝が用意した「ミス・サイゴン・スクール」で歌唱、舞踊、演技の勉強を始める。歌唱のレッスンも初めて受けることにした。「ミス・サイゴン・スクール」だけではなく、個人レッスンも受けた。

 「ミス・サイゴン」のレッスンで最初に出会ったボイス・トレーナーが山口琇也(やまぐちひでや)さん(1949-)である。

「ミス・サイゴン」「レミゼ」音楽監督・山口琇也さん

 山口琇也さんは桐朋学園大学を卒業後、オペラやミュージカルの舞台経験を積み、さらに作曲、指揮、プロデュースなどへ領域を広げていったミュージカル界の音楽的支柱である。「歌唱指導と音楽監督による永年のミュージカルへの功績に対して」2005年度菊田一夫賞特別賞、2006年度読売演劇大賞(優秀賞)スタッフ賞を受賞している。

 東宝がプロデューサー古川清さん(1939-)の統括でミュージカル「レ・ミゼラブル」を初演した1987年、ボイス・トレーナーとなる。再演以降は音楽監督補(日本側の音楽監督)として歌唱指導に当たってきた。

 92-93年の「ミス・サイゴン」では初演から音楽監督補とクレジットされている。「ミス・サイゴン」と「レ・ミゼラブル」はそれぞれ2012年版と2013年版でも歌唱指導者と音楽監督として音楽面の責任者だ。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


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日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

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