元400メートルハードラー・為末大。小、中学校まで、走ることにおいては負け知らずだったという。そんな彼が、高校生になって初めて公の場で負けを経験。そこに立ちはだかるのは「恥」という心のハードルだった。さて、どうやって乗り越えることができたのだろうか。
15歳で迎えてしまった「ピーク」
ハードラーとしての僕の原点は、「走ること」にある。
実は、小学校の高学年くらいから、走ることで負けた記憶がほとんどない。
生意気な言い方をすれば、とてつもなく足の速い子どもだった。
小学校4年で広島県大会の100メートル走で優勝し、中学3年のときには全日本中学校選手権の100メートルと200メートル走で、ともに日本一になった。
ただ、走りの分野で面白いように記録が伸びたのはここまで。
僕の身長も体重も中学3年のときと比べてさほど大きく変わっていない。中学生にしては成長が早く、その成長のピークを僕は15歳で迎えてしまったのだ。
負け知らずから一転、敗北を味わう
ある意味「負け知らず」で生きてきた僕は、高校に進学して以降、ライバルたちの成長を横目に見ながら停滞に悩まされることになる。翌年になると伸び盛りの後輩たちにもじりじりと差を詰められ、やがて追い越され、高校3年のときに出場した県大会の200メートル走の決勝で、ついに1歳年下の後輩に負けた。
初めてのオフィシャルな「敗北」だった。
今回はダメだったけど次は挽回できるという感じではない。
もう二度とコイツに勝てることはないだろう。そう思うほど徹底的な負けだった。
誰よりも速いこと。
それこそが自分の誇りであり、誇りの周りには見栄やおごり、目に見えないものが限りなく渦巻いていた。現実は冷静で、そして厳しく、日々グングン成長している後輩と成長が止まった自分との間には、努力では解消されない壁が立ちはだかっていた。
この壁こそが、心のハードルそのものだった。