稲葉清右衛門・ファナック社長
 富士山の麓、山中湖畔の山梨県忍野村。広さ54万坪にわたる森の中に、ファナックの本社地区が広がっている。コーポレートカラーである黄色で染められた建物が林立する光景は、訪れる者を圧倒する。

 1972年に富士通の計算制御部から独立したファナックは、現在、NC(数値制御装置)工作機械や産業用ロボットで世界一のシェアを持つが、この地位まで引き上げたのは稲葉清右衛門(1925年3月5日~2020年10月2日)である。75年から95年まで社長を務め、2013年まで相談役名誉会長の傍ら経営本部長や研究本部長として権勢を振るい、ファナックのみならず日本の工作機械業界をけん引した存在ともいえる。

 同社が忍野村にロボット工場やNC工作機械製造工場を移転し始めたのは80年12月から。84年10月には東京都日野市にあった本社も移した。稲葉はその3カ月後、「週刊ダイヤモンド」85年1月26日号に登場し、移転の真意と将来構想を語っている。

 稲葉によると、工場には温度と湿度が重要で、さらに景色が良いのが一番だという。富士山の麓というロケーションは、社員が研究開発や製造に打ち込むには格好の環境で、こういう場所でないと10年後の商品は生まれないと断言する。交通の便は決して良くはないが、「世界を相手にしているんですから、海外営業本部は日野に置く必要はないんです。東京であろうと富士山であろうと、地図の上から見たら一つのポイントにすぎないです。海外のお客さんは全部ここに来られます」とも話す。

 いまやファナックは、山梨県にとっても法人税収の主力であり、山梨県内で最も年収が高い企業でもある。もっとも移転直後の当時、稲葉は、本社地区への大移動はまだ「格好だけ」で、85年中に開発、製造、販売の基礎固めをし、「この機能をフルに活用して、できたら利益も35%を維持したい」と語っている。

 同社の10年度の売上高営業利益率は42.5%に達したが、昨今は米中貿易摩擦の影響による中国向け需要の減少などから利益率は低下、20年度の営業利益率は20.4%となった。とはいえ、それでもなお国内製造業でも有数の利益率を誇る。ちなみに、21年度第1四半期(4~6月期)は28.1%にまで回復。売上高も1853億円と、前年度同期の1093億円から69.6%も増収となっている。(敬称略)(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

最初はロボット工場
最後に本社を移転

ダイヤモンド1985年1月26日号1985年1月26日号より

――なぜ本社をここへ移したのですか。

 最初にこの山中湖畔にロボット工場を造ってみたわけです。環境もいいしね。工場には温度とか湿度が大事でしょう。それに景色が良ければ一番いいわけです。富士山はあるし、申し分ないわけです。

 それで、次にモーター工場を造ってみたんです。また成功した。うちは決して最初から大きくやりませんから。最初はいつも小さくスタートする。まずロボットで成功し、モーターで成功し、これで大体間違いないだろうということで、今度は精機工場を造ってみた。

 それから今度はファナックの主力商品であるNCの工場を造った。それから将来最もファナックが期待しているインジェクション・モールディング・マシンの工場も一緒に造ってみたわけです。

 そうすると、ファナックの五つの柱を支えている商品を作る工場が全部ここに集中したことになりますね。それで本社を持ってきたわけです。

 どうせやるなら、工場完成と同時に本社も完成させようということで、非常な無理を建築会社にお願いして、1984年の9月20日に本社、二つの工場、それに伴う宿泊設備、福祉設備、6カ月で全部一挙に完成させたわけです。

――日野工場はどう変わったのですか。