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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

新国立劇場の次期オペラ芸術監督・飯守泰次郎さん
「美奈子さんはすべての芸術家が目指すべき存在」

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第16回】 2012年12月14日
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 1999年2月12日、本田美奈子さんは初めて「題名のない音楽会」(テレビ朝日)に出演した。この年の5月以降は年末まで東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」と「王様と私」の公演が続くので、いくらか余裕のあった時期である。「題名のない音楽会」は、指揮者とオーケストラが出演し、多彩なゲストを招いてクラシックとポップスを往復するところに特色がある。

指揮者・飯守泰次郎さんを驚倒させた日

1999年2月12日に収録された「新・題名のない音楽会」を特集したファンクラブ会報(1999年3月号)の扉ページ
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 2月12日の公開録画は東京・渋谷公会堂で行なわれた。放送されたのは4月18日である。当日の指揮者は飯守泰次郎さん、オケは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団。読者にはすでにおなじみのトランペット奏者、木村英一さんの所属するオケだ。

 筆者は13年前、たまたまこの放送を見ていた。クラシックを何曲か歌うのだろうと予想していたが、実際はミュージカル、ポップス、演歌、クラシックを横断するプログラムで、それぞれをまったく別の発声、表現で歌い、視聴者を驚かせた。ライブを見た聴衆は仰天したであろう。連載第15回に書いたように、「ミス・サイゴン」から7年、ジャンルを横断して発声を瞬間的に変えることを自由に出来るようになっていたのである。

 もうひとつ、指揮者の飯守泰次郎さんは、はたしてこのプログラムをどのように料理するのか、ドイツの歌劇場で活躍してきた飯守さんが本田美奈子さんとどうやって合わせるのか、テレビを凝視した。

 マエストロにはのちほどご登場いただくとして、まずは当日のプログラムを1曲ずつたどる。

 「新・題名のない音楽会~本田美奈子 スター誕生」
1999年2月12日(4月18日放送)

 飯守泰次郎指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
 司会・武田鉄矢、野村華苗(以下、敬称略)

「命をあげよう」……「ミス・サイゴン」より。ウグイス色のアオザイ風衣装で歌唱。和田薫さんのアレンジは、エンディングをミュージカル本編から引用したダイナミックなものだった。地声でフォルテを効かせたミュージカル特有の歌唱法で会場を圧倒。

武田鉄矢 「オケのメンバーにはファンクラブの人もいるんですって?」

本田美奈子「アハハ、うれしいです!」。木村英一さんのことである。

「越冬つばめ」……森昌子さんのヒット曲(1983年)。もちろん演歌だ。この曲にはほとんどコブシを回す場面はないが、高音は地声と裏声を交錯させる演歌特有の歌い方である。①とまったく違う発声。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


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日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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