ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

オーストリア経済危機の救済に動いた
イングランド銀行の真意

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第49回】 2009年8月19日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

工業化の急進展で
沸き立っていたオーストリア経済

 頭取シュンペーター率いるウィーンのビーダーマン銀行は、1924年の株価暴落による不良債権の膨張で経営危機に陥る。資本注入による救済に乗り出したのはイングランド銀行の子会社、アングロ-オーストリア銀行だった。資本注入と引き換えに、シュンペーターは9月に頭取職を事実上解任されてしまう。

 英国の中央銀行であるイングランド銀行は、1920年に他の英国の銀行とともにアングロ・オーストリア銀行への出資比率を上げ、英国の金融システムに組み入れていた(★注1)。どうしてイングランド銀行がこういう行動を取ったのだろうか。

 まず、当時のオーストリアの銀行についておさえておこう。1880年代から第1次大戦前まで、オーストリア経済は絶好調だった。オーストリア=ハンガリー帝国の人口は、1857年に3226万1000人だったが、1910年には5139万人に増加している。工業化の急進展によってウィーンやグラーツへの人口集中が起きていた(★注2)。

 ウィーンはイノベーションに沸き立ち、リンクシュトラーセには銀行が立ち並んだ。シュンペーターが『経済発展の理論』で記述したように、企業家によるイノベーションが群発し、銀行家による信用の供給も急増していたからである。

 オーストリアの産業は工芸品、繊維、鉄道部品、金属加工、鉱業までそろっていた。工業化を推進する企業家や銀行家の群生がウィーンをきらめく近代文化都市に変えていった。毎晩、ウィーン宮廷歌劇場は貴族のように着飾ったブルジョワで埋まった。

 ウィーンは帝国の金融のセンターとして機能していた。大半は群小の金融業者だったが、工業化の進展は投資需要を喚起し、大規模なファイナンスの可能な大手銀行に集約されていった。第1次大戦前の高度成長期には、大銀行の中でも次の4行が資本力と収益力を誇っていた(★注3)。

●クレディートアンシュタルト銀行……1856年、ロスチャイルド家によって創業。Anstaltは「公共」という意味。
●ボーデンクレディート・アンシュタルト銀行……1864年、フランス資本によって創業、抵当・手形業務。正式名はアルゲマイネ・エステライヒッシェ・ボーデンクレディート・アンシュタルト銀行。Allgemeineも「公共」で、Bodenは「土地」だから、「土地抵当銀行」といった意味である。
●アングロ・オーストリア銀行……1864年、英国資本によってロンドンで創業。Angloは「英国」のこと。日本語にすると英墺銀行。交通・鉱山業を主要取引先とする(★注4)。
●レンダーバンク……1881年、パリのユニオン・ジェネラールによって創業。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編

「経済成長の起動力は企業家によるイノベーションにある」とする独創的な理論を構築したシュンペーターの発想の冒険行を、100年前のウィーンから辿る知の旅行記。

「めちゃくちゃわかるよ経済学 シュンペーターの冒険編」

⇒バックナンバー一覧