前半生と対照的だった
ケンブリッジでの静かな後半生

 19世紀末のハプスブルク帝国から始まったシュンペーターの冒険旅行は、1932年9月、米国のケンブリッジ(ハーバード大学)で終着駅に到着した。亡くなったのは1950年1月8日だから、17年余りをハーバード大学で過ごしたことになる。

 米国の後半生は、前半生ほど波乱万丈に富んでいたわけではない。よく知られているのは、大恐慌下の1936年にケインズが発表した『雇用、利子および貨幣の一般理論』(★注1)を契機にして、サミュエルソンらハーバードの弟子たちの多くがケインズ派に走ってしまったことだが、これは多くの評伝に書かれているエピソードである。

 シュンペーターが独自の理論である「企業者のイノベーション」について、ボン大学でもハーバード大学でもまったく講義で話さなかったという(★注2)。したがって、弟子がシュンペーターの経済学を継承して理論を彫琢し、後任の教授として教える、ということもまったくなかったのである。

 その代わり、シュンペーター・ゼミナールは新古典派の数理経済学者からケインズ経済学者、そしてマルクス経済学者まで、多彩な人材を輩出するインキュベーターとなる一方、欧米各地や日本からAクラスの学者が多数訪れ、滞在していた。

 1933年にハーバード大学に入学してシュンペーターに師事し、1942年に帰国するまで学生、院生、講師として過ごした都留重人先生(1912-2006)の自伝から、当時のゼミ生や訪問経済学者を抜き書きしてみよう(★注3)。

学生・院生(のちの主たる勤務先、ジャンル)
・ポール・スウィージー(1910-2004)ハーバード大学准教授 マルクス経済学
・ポール・A・サミュエルソン(1915-2009)MIT教授 新古典派総合
・ジョン・K・ガルブレイス(1908-2006)ハーバード大学教授 制度学派
・リチャード・マスグレーヴ(1910-2007)ハーバード大学教授 公共選択
・エーブラハム・バーグソン(1914-2003)ハーバード大学講師 ソ連経済論
・ジェームズ・トービン(1918-2002)エール大学教授 マクロ経済学
・ロバート・ソロー(1924-)MIT教授 新古典派総合

訪問学者
・ 柴田敬(1902-1986)京都帝国大学助教授 数理経済学(★連載第63回参照)
・オスカー・ランゲ(1904-1965)ポーランド シカゴ大学教授 マルクス経済学
・アバ・ラーナー(1903-1982)マクロ経済学
・ニコラス・カルドア(1908-1986)英国 ケンブリッジ大学教授 マクロ経済学
・フリッツ・マハルーブ(1902-1983)プリンストン大学教授 理論経済学
・ オスカー・モルゲンシュテルン(1902-1976)プリンストン大学教授 ゲーム理論

 他にもまだ多くのエコノミストの名前が登場する。同時期に同じ場所にいたのだから驚かざるをえない。

 シュンペーターの経済学は数学モデルにしていないので、のちの教科書で紹介されることはなかった。教え子だったロバート・ソローに始まる内生的成長理論(endogenous growth theory)にシュンペーターの思想の影響はあるが、主に新古典派経済成長論の補強に使われることになった(★注4)。この点は後述する。