シュンペーターが第4学期と第5学期を過ごしていた1903年、ウィーン大学教授カール・メンガーが退官し、名誉教授となった。「限界革命」のオーストリア学派(ウィーン学派)を先導した経済学者は63歳で一線を退き、以後は没するまで目立った行動の記録を残していないという。ウィーン大学でオーストリア学派を受け継いだのがフリードリヒ・フォン・ヴィーザーとオイゲン・フォン・べーム=バヴェルク、そしてシュンペーターが1903年に師事したフィリッポヴィッチであった。

近代経済学の方向を決定付けた
「限界効用理論」とは?

 カール・メンガー(Carl Menger 1840-1921)は限界効用理論で近代経済学の方向を決定付けた人物の1人である。

 1871年、プロイセンが主体となり、ドイツ帝国が成立する。ようやくドイツ圏は300の領邦が群立する中世的な世界から、ドイツ帝国とオーストリア-ハンガリー二重帝国に集約され、国民国家的なまとまりをもってきた。ナポレオン戦争からすでに半世紀以上が過ぎている。

 もっとも、ウィーンは相変わらず帝国の域内から多民族が集い、知の祝祭が渦巻く都市だったが。

 その1871年、カール・メンガーが『国民経済学原理』(※注1)を出版する。同じ年にイギリスのウィリアム・ジェヴォンズ(William Jevons 1835-1882)が『経済学理論』(※注2)を、1874年と77年にスイスのレオン・ワルラス(Leon Walras 1834-1910)が『純粋経済学要論』(※注3)を出版し、経済学の限界革命(後世の命名)が巻き起こったのである。

 効用とは、人間の欲望の単位だと考えていただきたい。財(モノ)やサービス1単位を追加したときの人間の効用の増加分を限界効用という。

 限界効用はふつう逓減する。これを限界効用逓減の法則という。

 ざるそばを注文する。追加してもう一枚食べる。さらにもう一枚追加していくと、効用(欲望)は逓減していく。消費量が増えるにしたがって効用は逓減する。財の価値は人間の効用で決まるというわけだ。

 古典派経済学やマルクスの経済学は、財の価値を労働におく。労働で商品の価値が決まるとする。これを労働価値説という。つまりコストで価格が決まるから生産費説ともいう。

経済学と数学が結びつき
ミクロ経済学の原点に

 メンガー、ジェヴォンズ、ワルラスの3人は、商品の価値は主観的効用で決まるとする。なにより重要なのは、無差別曲線と予算線の交点で効用は最大化するわけだが、関数の多変数を固定し、一部を増加させたときの変化を見るため、偏微分で計算可能ということである。つまり、経済学と数学を直接結びつけたわけだ。経済学が一挙にサイエンスに近づいたといえよう。今日のミクロ経済学の原点である。ただ、メンガーは数学を使っていない。

 無差別曲線とは、x軸とy軸にそれぞれ財を置き、効用を一定とすると無数の組み合わせを結ぶ曲線が何本も引ける。原点に対して凸の曲線だ。これに対して予算線はxとyの組み合わせだから右下がりに引けるので、この予算制約の直線と無差別曲線の交点で効用は最大化する。ミクロ経済学の教科書の初めのほうに必ず出てくる。原点に対して凸になるのは、限界効用が逓減するからである。

 ややこしい証明は専門書に譲るとして、このように数学で解くことを一般化する道を切り開いた点で、カール・メンガーらの功績は歴史的である。30年後の大学生シュンペーターが数学をたくさん受講しているのはこのような背景がある。のちにシュンペーターは数学を使わないメンガーより、数学者でもあるワルラスのほうに接近することになるのだが。