神戸屋社長に聞く「包装パン事業売却」後の戦略、赤字の直営店と冷凍パンでどう戦う?神戸屋の桐山晋社長(著者撮影)

パンメーカーの神戸屋は、袋パンを軸とした卸売事業を山崎製パンに譲渡すると発表した。前回は、売り上げの7割を占め、しかも黒字を確保している袋パン事業の譲渡を決断した背景を探った。今回は、神戸屋の歴史を振り返りつつ、冷凍パンと直営店事業でどう新たな付加価値を生み出そうとしているのかを点検する。また社長の桐山晋が、社内の反発を招きかねない大胆なCX(コーポレート・トランスフォーメーション)をなぜ実行できるのかに迫る。(名古屋外国語大学教授 小野展克)

100年を超える高級パンの老舗

 神戸屋が大阪市の北区で創業したのは1918年だ。その歴史は100年を超える。

 外国人向けに山型の食パンを製造・販売する会社で奉公していた創業者の桐山政太郎が、大阪に立ち上げたのが神戸屋だ。

 まだ多くの日本人にとってパンはなじみのない食べ物だった。そこで、西洋への玄関口であり、多くの西洋人が住む「神戸」を屋号に付け、西洋の食文化をイメージできるよう工夫したという。大阪のホテルや高級レストラン、百貨店に加えて関東の富裕層向けにもパンを卸した。

 パンの普及に合わせて、大阪に鉄筋3階建ての福島工場を竣工。かつては「東洋一の大工場」と称されたという。

 1936年には大阪市の今池に直営店を開業。サンドイッチやホットドッグ、コーヒーを提供した。店では和装ではなく、メイド服で接客した。ただ単にパンを販売するだけでなく、西洋の食文化を日本に伝える戦略を打ち出したのだ。

 戦後はパンが庶民にも広がり、高度成長期には、家庭の朝食として定着していく。パンの需要拡大に応じて、パンメーカー大手が工場の増設を進めるのに歩調を合わせて神戸屋も工場建設に取り組んだ。

 一方で、1975年にはベーカリーレストラン1号店となる「神戸屋レストラン」を兵庫県西宮市に開業、洋食とともに高級なパンを楽しむレストラン事業も柱の一つに据えた。1980年以降は、ベーカリーレストランを軸に多店舗化。駅ナカに直営ベーカリーの「フレッシュベーカリー神戸屋」なども展開して、高級パンのブランドとしても存在感を高めた。

 2021年4月に社長に就任した桐山晋は、創業家の出身で6代目の社長だ。

 そんな神戸屋が、過当競争(同業の企業が市場占有率を拡大しようとして起こる過度の競争状態)と、コロナ禍という試練の時を迎えた。そこで、桐山は社内から猛反発を受けてもおかしくない衝撃の転換を決断した。