人生100年時代、自分に合った「後半戦」の生き抜き方とは

──お父様とのご経験は、何か野沢さんの考え方に影響を与えた部分はありましたか。

野沢:本にも書いたのですが、「ヒトとヒトは、『影響の数珠』で繋がれているんだな」と、よく考えるようになりました。どんな人も、誰かから受けた影響に自分の要素を足して、自分だけの形にしようともがいて。そうして、誰もが日々少しずつ、「影響の数珠」を繋いでいく。

──「影響の数珠」。

野沢:私が今幸せだと思えるのは、父の破茶滅茶な人生の背中を私に見せてくれたからだと思えるようになったんですよ。家庭は顧みない人だったけれど、影響の数珠で、父と私は繋がっている。それは間違いのないことで。

 50歳を過ぎると、誰でもふと足を止め、「自分は何も残せなかったのではないか」「自分の人生に意味はあったのか」と考えてしまうものだと思うんですけど。ちょっとずつ、「私たちは、たくさんの数珠繋がりの一部として、役割を果たしてきたんだ」と……そう思えるようになりましたね。

──そうですね。知らないところで数珠をつなぐ役割を果たしているかもしれない。

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野沢:はい。お金もないから貯めなきゃいけないし、まだまだ働かなきゃいけないし、見た目が劣化するのもイヤだし(笑)、人生後半戦になってそんな不安もたくさんあるけど、「死にたくないから生きておく」と、「長生きしたい」は全然違う。私は、自分の意思でもっと生きたい。最近、そんなことをよく考えるんです。

 これまでは、やっぱり「家族を養うために、お金を作らなきゃいけないから働く」という感覚もありました。でも、そろそろリタイアしてもいい年代になってきたから。残りの30年くらいは、自分のために費やしてもいいんじゃないかなあ、と。

 そんな思いをこめて書いたので、今回のエッセイが、同じ悩みを持つ人にとって何かヒントになれば嬉しいですね。

【次回に続く】

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