遅過ぎた山際更迭劇で露見した、自民党執行部「機能不全」の深刻首相の岸田文雄へ辞任の意向を表明後、記者団の質問に答える山際大志郎 Photo:JIJI

「遅過ぎたが既定路線」と言っていいだろう。前経済再生担当相の山際大志郎の更迭劇のことだ。首相の岸田文雄は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を巡って進退が問われ続けていた山際に、やっと10月24日夕に辞表を提出させた。

 山際の理解不能の“後出し”が指摘されたのは8月の内閣改造時。岸田は教団との関係について説明責任を果たすことと「教団との縁切り」を入閣の条件としていた。

 ところが山際は留任が確定的になるまでは“沈黙”を続け、まんまと留任を手にした。その後も教団関係団体の会合に参加した事実を指摘されるたびに追認を繰り返した。24日の参議院予算委員会でも開き直ったように答弁した。「重要だと思わないことは覚えていない。それほど不自然なことではない」「記憶にない」は、首相経験者である田中角栄の逮捕に至った1976年のロッキード事件の証人喚問を想起させた。山際への世論の風当たりは厳しく、世論調査では辞任を求める声が圧倒的だった。しかし、山際は辞任・更迭論を意に介することなく馬耳東風、馬の耳に念仏 ――。人ごとのような答弁を繰り返した。

 結果として岸田は内閣改造から2カ月以上も時間を空費し、その間に内閣支持率は下落を続けた。ついに24日付の毎日新聞朝刊が報じた世論調査の内閣支持率は27%、不支持率は65%に達した。山際の続投は政権の存亡にも直結しかねないレベルに向かっていた。