「森保さんとしゃべったらダメです。(涙腺が)崩壊してしまう。でも、森保さんが常に僕を信用してくれて、いろいろな役割を与えてくれなければここまで成長できなかった。監督はいつも選手たちに『感謝している』と言ってきましたけど、僕を含めた選手みんなも監督に感謝している。だからこそ、監督をもう一個上(のベスト8)に連れていってあげたかった」

 アジア最終予選で出遅れ、窮地に立たされていた昨年10月。解任論も飛び交っていた森保監督に対して、吉田は「みこしを担ぎたい、と思える監督であることは間違いない」と言及している。

「僕もいろいろな監督のもとでプレーしてきましたけど、まあ難しい監督が多いです。監督とはそういうものだと思いますけど、そのなかで本気で選手のことを考えてくれる監督は、僕のキャリアでも本当に数少なかった。その一人が森保監督だと思うし、本当に選手ファーストで物事をここまで考えてくれる監督は、なかなかいないんじゃないかと思っています」

 慣用句である「みこしを担ぐ」は「ある人を祭り上げる、おだて上げる」を意味していて、特に政界で権力者を揶揄する場合に用いられる。一方では「高い地位についた人の面目が立つように、縁の下であれこれ努力する」も意味していて、吉田が伝えたかったのは後者となる。

 このやり取りだけで、誠実で思いやりにあふれた性格を介した森保監督のマネジメント力も伝わってくる。一方でクロアチア戦後の取材で、生きるか死ぬかのPK戦に臨む5人を、蹴る順番を含めて選手たちに立候補させたとわかったときには正直、驚きを禁じえなかった。

 実際に1番手として自らが手を挙げるまで、ベンチ前で円陣を組んでいたチーム全体に、5秒ほどの沈黙があったと南野は明かしている。結果論との誹りを覚悟した上で言えば、指揮官がキッカーを指名する形が取られていれば、どのような結果になっていたのかとどうしても考えてしまう。

 W杯のPK戦に関しては、94年のアメリカ大会決勝でイタリアの5番手を担うも失敗。その瞬間にブラジルに優勝を決められた当時の至宝、ロベルト・バッジョがこんな言葉を残している。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」

 想像を絶するほどの、恐怖にも近いプレッシャーを乗り越え、PKのキッカーを担った選手たちの覚悟と決意をリスペクトしてほしいと訴えた名言。敗退が決まった直後からその場にうずくまり、号泣した南野らの後輩たちの勇気を称えてほしいと、長友も最後の取材対応でこう語っている。

「最後までたくましく、堂々と戦っている後輩たちの姿に感動したし、心の底から誇りに思っている。なのでこの悔しさも含めて、彼らが必ず繋いでいってくれると信じています」

 日本代表が挑んだ4度目の挑戦も、またもやベスト16の壁にはね返された。ドイツやスペインを撃破した軌跡を含めれば、過去3度の挑戦とは異なり、ほんの紙一重の差だったかもしれない。それでもチームはPK戦に突入するまでの120分間で、勝ち越せなかった試合展開を悔んだ。

 敗因とともに弾き出された答えは「だからこそ、理想を追い求める」だった。日本代表を通して日本という国に魅せられた外国人のファンをも残念がらせた夢半ばでの敗退は、日本代表の「次代」を担う堂安ら東京オリンピック組に新たな目標を抱かせ、契約延長による続投も報じられている森保監督も含めた指揮官のもとで、一歩ずつ、そして力強く前へ進んでいくための力に変えていく。