最近、雑誌の見出しなどで「安倍バブル」という表現をよく見かけるようになった。バブルは「長期的に維持できないほどの資産価格の高騰」とするのが一般的な定義だ。問題は、その最中に「今の株価はバブルだ」といった判断が可能かどうかだ。この問題については、グリーンスパン前FRB(米連邦準備制度理事会)議長のように、バブルはそれが崩壊して資産価格が下がってみなければ(確か4割くらいと言っていたと思う)、バブルだと認識できないという考えと、ある程度は認識できるはずだという考え方がある。両説の差は、経済政策の望ましいあり方と責任について異なる意味合いをもたらすので、政策論として重要だが、投資家としては、「現在形」で判断するしかない。
バブルは、たちの悪い信用拡大による資金が資産市場に向かい、経済全体として過剰なリスクテークが発生することに伴って起こる資産価格の高騰現象だ。
緩和的な金融環境がバブル発生の必要条件だ。金融環境が緩和的であるか否かは、実質金利が十分低いかマイナスであるかといった点と、銀行貸し出しが伸びているかで判断できる。
金融引き締めはほぼ必ずバブル崩壊を導くが、経験的にいって、最初の政策金利引き上げで、ただちに資産価格が暴落することはまれで、何度目かの利上げの後にバブル崩壊が始まることが多い。1980年代の日本のバブルが崩壊して株価が下げ始めるのは、3回目の公定歩合引き上げの後だった。
バブルは、PER(株価収益率)、PBR(株価純資産倍率)、不動産の場合なら家賃利回りと金利の差といった一般的な資産価格の判断指標に表れる場合が多い。
80年代末期の日本のバブルにあって、東証1部上場銘柄のPERは80倍前後の水準になった。これを正当化する説明を見つけることは当時も困難だったが、このときに登場したのが「Qレシオ」と名付けられた新しい株価尺度だった。Qレシオは、ある大学教授を座長とする証券経済研究所のワーキンググループの報告書で提唱された。これは、企業が保有する地価などの資産を時価で評価した実質純資産と株式の時価総額を比べる一種の実質PBRのような概念だったが、株価のバブルを、地価という別のバブルで測って、「日本の株価はバブルではない」という結論を出す、論理的な欠陥を持っていた。