通帳を見て驚く女性写真はイメージです Photo:PIXTA

相続は、一般的な感覚とはかけ離れた運用も多々あるのが現実だ。相続の一定割合は「相続紛争」(いわゆる“争族”)になっていて、相続人同士が揉めているケースは相当数存在する。これまでブラックボックスだった「相続紛争の戦い方」について、300件の争族を担当してきた弁護士が解説する。(弁護士 依田渓一/執筆協力 経堂マリア)

弟夫婦が“容疑者”?消えた300万円

【本当にあった相続紛争物語】

 母親の四十九日法要を終えて3日後。「そろそろ、相続の手続きを始めるものなのよね…」と思いながら銀行窓口に赴いた北川靖子(仮名)は、ある取引履歴に驚愕(きょうがく)した。母が死んだ後に、母の預金口座から300万円が引き出されていたのだ。

 こんなことができる人間は一人しかいない。母と同居していた靖子の弟、野間口憲治(仮名)だ。そういえば母は、通帳や印鑑まで弟夫婦に管理してもらっていると言っていた。

 靖子は急いで憲治に事情を問いただしたが、憲治は「よく分からない」と言って逃げ回るばかり。だいたい、昔から肝っ玉の小さい憲治が、そんな大胆なことを一人で思いつくはずがない。

「きっとあの、したたかな嫁が裏で手を引いているに違いない…」、靖子は確信した。物静かに見えて、実は常に頭の中で損得勘定をしていそうなあの女。親族で顔を合わせるたび、靖子は女同士にしか分からないその独特なにおいをかぎ取っていた。

 それにしても、母が死んだ後になって黙って300万円も引き出すなんて、あんまりだ。弟夫婦が母との同居を買って出たのは、これが狙いだったのかと疑ってしまう。

 そもそも1年前までは、靖子の自宅に母が同居していた。だが、母の足腰が弱り認知症の傾向も始まったことから、フルタイムで働くワーキングマザーである靖子ではいよいよ面倒を見切れなくなり、自営業の弟夫婦に任せることになったのだ。

 今となっては、あの女がこの1年、母の面倒をちゃんと見ていたかも怪しいものだ。自分がそばにいれば、母はもっと長生きしていたかもしれない。実家だってどうせ弟夫婦が相続したがるに違いない。こんなことになるなら介護休職でも何でも取って、自分が母の面倒を見続ければ良かった――。

 複雑な感情がこらえ切れない靖子は、「せめてこの300万円の件だけは、うやむやにしちゃいけない」と固く心に誓い、弁護士に相談することにした。

【相続の疑問点】

 亡き母は遺言を残していなかったので、靖子は憲治と遺産分割協議をしなければならないが、引き出された300万円はどう取り扱われるのだろうか。

【ヒント】

 故人の預貯金から生前(相続発生前)または死後(相続発生後)に不明な出金があるケースは、意外にも多い。相続における「使途不明金」といわれる問題だ。

 相続人の中の誰かが故人の口座からまとまった金銭を引き出していることが強く疑われる場合、「弁護士に相談すればすぐに解決できる」「裁判所に持ち込めば公平な判断が下される」と思う人も多いだろう。ところが、その認識は甘いと言わざるを得ない。いったい、なぜだろうか。

 本稿では相続発生「後」の使途不明金に焦点を絞って考えていきたい。相続発生「前」の使途不明金に関しては別の問題がもろもろあるため、また機会を改めよう。