要介護者をフルタイムで働く家族が、在宅で介護するには限界のように思われた。また在宅介護の継続か介護施設への入所かの判断を保留して、いったん介護老人保健施設に数カ月入所してリハビリや介護ケアなどを受け、少しでも回復を期待する方法もある。しかし、高井さんはあくまでも在宅介護にこだわった。

 その結果、介護離職をしてしまうのだ。要介護3に悪化したことを電話で聞いて以来、取材を申し込んでも断られ続け、インタビューが実現したのは離職から半年ほど過ぎた2019年のことだった。

「介護疲れで単純なミスを繰り返して、職務をまっとうできなくなってしまった。そんな自分が恥ずかしくて、情けなくて……。介護休業制度はあってもとても取得できるような職場の雰囲気ではなかったし、経済的なことを考える余裕はありませんでした。介護サービス業者に頼むのも、他人を頼る弱い男と見られたくなかったですし……。それに、笑われるかもしれませんが……私にとっては離職することでしか、なけなしの男としてのプライドを保てなかったんです」

 そんな「プライド」など必要ない。そうわかっていても、そうせざるを得なかった苦しさがひしひしと伝わってくる。やつれた表情が痛々しかった。

孤立の末の高齢者虐待

 そうして、離職によって社会との接点が絶たれて孤立した高井さんは、最悪の事態を自ら招いてしまう。母親への暴力だった。そのことを知るのは、2022年末のこと。取材を断られる以前に連絡さえ取れなくなり、3年近くが経過していた。この間、無理にでも母親の介護のつらさを聞き出してさえいたら、取材者としての立場は逸脱するものの、老親を一人で在宅介護する身として何かアドバイスなどでき、悲惨な出来事には至らなかったのではないか。彼のことを思い出すたび、今でも己の無力さが悔やまれる。

 高井さんによると、要介護3の状態で認知症を発症した母親はさらに脳梗塞を起こして寝たきり状態となった。ヘッドレストが付いた車いすでも一定時間過ごすと体の痛みを訴えるためにデイサービスの受け入れ先が見つからず、週2回の訪問介護と週1回の訪問入浴のサービス利用のほかは、自力でおむつ替えや食事の世話など身の回りのこと全部を担っているという。

「母が感謝するどころか、私の言うことを聞かなくなって……痛い、しんどい、と何度も喚いた挙句、いつも、『あんたに迷惑はかけたくない。施設に入る』と言うんです。母のためを思って、仕事まで辞めて面倒を見てやっているのに……もう、腹立たしくて、我慢できなくなって……そのー、つい、母の体を足で蹴ってしまって……。とんでもない、ことを、してしまって……。もう、反省しても、しきれ、ません」

 そう嗚咽しながら打ち明けた。