難病患者を襲う耐えがたい激痛…救ってくれた「ゴッドハンド」とチーム医療の力写真はイメージです Photo:PIXTA

『元経済誌編集長、パーキンソン病と闘う』連載の第4回。今回は、難病患者が抱えがちな「他の症状の併発」を告白したい。激痛と闘う日々を救ってくれたのは、不幸中の幸いで出会えた、診療科や病院をも超えたチーム医療だった。(ジャーナリスト 原 英次郎)

激痛で薬も効かず原稿が書けない苦しみ

 この連載はon goingで書いている。しばらく休載したのもそのためだ。こればかりは俺のなまけ癖が主因ではない。ということで、今回はとにかく「痛~い」話をしたい。

 連載の第3回までは書き留めていたので、3週分の貯金があればなんとか途切れずに毎週やっていけると判断していた。ところがどっこい、このスケジュールは痛みのせいで簡単にお釈迦になってしまった。

 暗い話になって恐縮だが、5月に94歳になる母が危篤となり、そのまま天寿を全うした。8月までの間に俺は、故郷の佐賀県に計4回帰省することになる。飛行機で約2時間、福岡空港からバスで約2時間に乗り継ぎも加えると、優に半日はかかる。

 俺はもともとパーキンソン病に加え、軽い脊柱管狭窄症を患っていた。体を動かさない状態が長く続く旅を、短期間に繰り返し経験したためか、腰からお尻、さらに太ももの裏側が、強烈な悲鳴を上げ始めたのだ。

 その痛さといったら、beyond description、筆舌に尽くし難い。カロナール、ロキソニンはおろか、ボルタレンの座薬でも痛みを止めることができない。

 実は2020年の春に、同じような苦しみを味わった。そのときは軽い脊柱管狭窄症だと思っていたのだが、痛みは増すばかり。夜も眠れず、拳で畳をたたいて痛みを紛らわすほど。この痛みに関しては、パーキンソン病で通院している順天堂医院ではなく、近くの市民病院の整形外科を受診することにした(1時間以上かけて順天堂まで行く気にならなかったから)。

 不幸中の幸いというか、市民病院でまた素晴らしい先生に出会うことになる。担当になったのは千葉大学医学部附属病院から月曜日だけ派遣されているS先生と、市民病院の理学療法士のK先生だ。

 われわれの背骨には穴が開いて、その中を神経が通っている。脊柱管狭窄症というのは、何らかの要因でこの穴が狭くなり、神経を圧迫して腰痛や坐骨神経痛、足のしびれなどを引き起こす。俺の場合、最初は別の診療所で検査し、背骨の変形は年齢相応だが、個人差が大きくその程度の変形でも痛みを引き起こすことがあるといわれ治療していた。