そんな「無知で無力」な人間の姿とそのおそろしさを描いたのが、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』。ジャンルで言うとSF。サイエンス・フィクションです。

『一九八四年』で描かれているのは、全体主義国家によって統治される近未来の世界です。統治しているのは、独裁者の「ビッグブラザー」。

 ビッグブラザーは情報操作を行って「ほんとうのこと」を隠しながら、市民の監視、思想統制といった圧政を敷くことで国を統治しています。市民はそれに黙って従っているわけですが、主人公(職業は“ビッグブラザーに都合の悪い歴史の改ざん”です)はその状態に疑問を抱くようになり――。

 と、ネタバレになってしまいますから、あらすじはここまで。高校生でも読めるような作品ですので、もし未読でしたら、ぜひ手に取ってみてください。

無知は誰の力になるのか

 ここで注目したいのは、ビッグブラザーの掲げるスローガンのひとつが、「無知は力(Ignorance is strength)」であることです。ベーコンの主張とは真逆です。この場合、無知はいったいだれの「力」になるのでしょうか?

 そこに住む市民、つまり僕たちではありません、政府です。国民が知識を持たないことが、政府が力を持つことにつながるのです。

 正しい知識を持つと、人々は余計なことを考えます。「その制度はおかしいやないか」と権力の批判を行い、従わなくなり、「そろそろ指導者を変えようや」と訴えはじめる。

 だからビッグブラザーは、市民に正しい知識を与えないのです。正しい知がなければ、考えることもできないのですから。

「おそろしいことをするやつらだ」と思ったでしょうか? しかしこれは、フィクションの世界の話ではありません。政治の本質そのものです。

 つまり、なにも考えない、文句も言わない、政治家にとって都合のいい市民を育てようと思ったら、「勉強させないこと」がいちばん効果的なのです。はたして、いまの日本がそうではないと言えるでしょうか。

 これは決して、陰謀論的な意味ではありません。政治についてきちんと知る努力をしてみんなが選挙に行くと、政治がひっくり返りやすくなる。つまりいま政権を持っている政党にとって、投票率の上昇は望ましくないことなのです。

 とんでもない政府や志のない政治家にとって、みなさんひとりひとりの「無知」はおおいなる後押しになります。政治を腐敗させてしまうこと、ひいては国を間違った方向に導くことにもつながるのです。そしてそれは直接、みなさんに返ってくる。理不尽な法律が通るかもしれないし、いつのまにか税金は高くなるかもしれないし、気づいたときには国全体が戦争に向かっていた、なんてことになるかもしれません。

 そう考えると、「知ろうとしないこと」が、ちょっと怖いことに思えてきませんか。