伝えることが苦手だった私
──コミュニケーションで悩み抜き、結果として突破に至るまでの道のり

 このような本を書いていると、もともと私は伝え方がうまかったのでは? と思われるかもしれません。それがまるで逆なのです。
 私は転校生でした。父の仕事で引っ越しばかり。違うアクセントで話す少年は、話すたびに好奇の目で見られ、いつしか人と話すことが嫌いになっていました。
告白しますが、今でも思い通り人に伝えられたときは、恥ずかしながら感動で目頭が熱くなります。それは青春期の「うまく伝えられない」ことへのトラウマがそうさせているのではないかと思います。
 伝えるのが苦手な私は、理数系に進みます。でもそんな青春時代を送りながら、「人にもっと上手に伝えられるようになりたい」という気持ちをおさえられなくなりました。大学でロボットを勉強していたという意外性が面白がられて、広告会社に入社することになります。面接では言いませんでしたが、私が広告をめざした本当の理由は、伝えることが上手になりたかったからです。
 そして、なんの間違いか、こともあろうにコピーライターとして配属されたのでした。私は、その職種には最もふさわしくない人だったでしょう。実際に仕事をしはじめて、あまりの文章のへたさで上司をはじめ、周りの人を驚かせました。まず、漢字が書けない。「博」の右上に点があるかどうかわからないくらい書けない。その当時、日本でもっとも漢字の書けないコピーライターだったと思います。何時間も考えてきたコピーを1分くらいでボツにされ、やり直しつづける毎日。名刺の肩書と、実際の自分のあまりのギャップに本気で悩みました。社会での自分の無価値さを痛感しました。
 苦手なものを毎日やりつづける中、食べ物にやすらぎをもとめ、自分でも気づかないうちに夜中に起きだして冷蔵庫をあけてプリンを食べていました。それも翌朝、まったく覚えていないのです。「楽しみにしていたプリンがない! 誰か食べた!?」と声に出して、行方を捜していました。

 その結果が、一年で10キロの体重増。

 小太りになって、こころなしか汗をかきやすくなった私は、じっと鏡を見ながら思いました。「人生、まちがえてしまったのではないか……」

 この本を書こうと思ったのは、そんな私でも伝え方の技術を知り、身につけることができるという生の経験をしたからです。