泥の中から見つかった
「日本中央」と刻まれた巨石

 青森県の東側、上北郡の真ん中ほどの場所にある東北町は、人口1万5000人強の自然豊かな地域である。

 問題の自然石が見つかったのは、赤川という河川の上流域。発見者は川村種吉という故人で、その子息に当たる要一郎氏の談話が、地元紙にたびたび取り上げられている。

 いわく、1949(昭和24)年の6月21日、少年時代の要一郎氏は父・種吉氏に「馬頭観音に祭る石を運ぶから手伝ってほしい」と連れ出され、小雨の降る早朝に、親族数名と共に馬そりを引いて赤川の河原へ向かったという。

 種吉氏が以前から目をつけていたその巨石。少し地面に埋まった状態だったため、土砂を取り除きながら数人がかりで持ち上げることになったのだが、すぐに親族の1人が「何か書いてあるぞ」と声を発した。

 最初に見えたのは「日本」の2文字。そばに落ちていた木の葉で泥を拭ってみると、続いて「中央」の文字が浮かび上がってきた。彼らはすぐに、これが伝説の「つぼのいしぶみ」ではないかと直感したという。

 興味深いのは、この地域には坂上田村麻呂が創祀したと伝えられる千曳神社が立っていることだ。

 千曳神社は807(大同2)年の創建で、社の周辺には坂上田村麻呂が遺した石碑が埋められていると言い伝えられてきた。明治天皇の時代には、東北巡幸(1876年、明治9年)を前に宮内庁から指令が下され、付近を徹底的に掘り返して「つぼのいしぶみ」を捜索した記録も残されている。

 そんな土地柄なのだから、「日本中央」と刻まれた大きな石を見て、伝説を裏付ける物証ではないかと色めき立つのは自然なことだろう。