もう1つの候補が、宮城県多賀城市に!

 実はこれよりも先に、「つぼのいしぶみ」に違いないと目されてきた石碑が、宮城県に存在している。現在の多賀城市、多賀城の入り口部分に据えられていたという、奈良時代の石碑がそれである。

「多賀城碑」と呼ばれるこの石碑は、高さ約1.8メートルの花こう砂岩製で、表面には多賀城の創建(724年)と改修(762年)を伝える、140字ほどの文字が刻まれている。江戸時代初期に出土したもので、坂上田村麻呂がこの地を訪れた記録があることから、すぐに「つぼのいしぶみ」ではないかと話題になった。

 肝心の「日本中央」の文字がないのに、なぜそうなるのか疑問ではあるが、当時はあの松尾芭蕉もわざわざこの石碑を見に訪れたほど、大きな話題となったようだ。

 しかし、同じ東北エリアからはっきり「日本中央」と刻まれた石が出土したとなれば、情勢ががぜん、青森に傾くのも当然のこと。青森・東北町ではこの巨石こそが「つぼのいしぶみ」であるとして、1995年に発見場所のすぐ近くに「日本中央の碑(いしぶみ)歴史公園」を整備し、展示施設を新設するなど、地域の新たな名物としてアピールに力を入れている。

坂上田村麻呂の遺物「日本中央の碑」は本物か、青森の巨石に刻まれた謎を検証国の重要文化財に指定されている多賀城碑  Photo:PIXTA